読み残した本の山
クリスチャンでもない70歳の男には、もう日本式の宴会的なクリスマスはない。いかなる宗教であろうと、私個人は宗教行事は完全拒否である。宗教的戦争で地獄と化しているこの地球の片隅で、むしろたんなるパーティの方がよほどすっきりする。 今年購入しておきながら未だに全部読み切れていない本が随分ある。忙しかったこともあるが、読み始めたらあまりにも重要な記述が詰まっていて、文字どおり2,3行読んではすぐさま2度3度読み返し、なかなか前に進めない本もあった。 1行読んではもう一度読み返すというのは、その記述内容を私自身の経験知で翻訳できないかどうかを咄嗟に探っているわけで、これが私の読書法-----自分の血肉にできるものは血肉にしておこうという意思である。 地平が拓けると言うが、まさにそのような光明を発見出来ることがある。「10分間速読法」なんて、私には意味をなさない。それで何を読んでいるのだろう? たとえば文学作品ならば、ストーリーよりもたった1行が見事な場合だってある。それを見つけることができるだろうか。 ------まあ、ひとの事などどうでもよい。 と言う訳で、年末年始はたまった本を片付けようと思うのだが、2,3日後には御節料理作りを始めなければならないし、なかなか自分だけの時間が作れまシェ~ン!