広島原爆忌とリオ五輪開会式
71年目の広島原爆忌。今年は何人の被爆者がお亡くなりになったことか。 世界の核廃絶ムーブメントはいまだに前途多難だ。新防衛大臣も前々東京都知事も日本が核保有国に向かうべく,軽薄な言動のパフォーマンスで浮薄な国民の有卦をねらう。防衛大臣の発言内容を首相は否定するが、この政府は常に二枚舌。国民に嘘をついてミスリードすることを政治と心得ている。これは現政府に限ったことではなく、この国の政治のありようのひとつの大きな特徴だ。 核保有は暴力団(ならず者)の脅しの道具のようなものだ。その意味では専守防衛型兵器だが、実戦的にはむしろ先制攻撃型兵器といってよかろう。つまり核保有するということは、はじめから攻撃をしかける意思決定がなされていなければ、保有している意味をなさないのだ。 戦争は、国民に精神力があるかないかの問題ではない。固有の物産資源があるかないかの問題だ。こう言ってもわからないだろうか。日本にはその資源が絶対的に無い、ということだ。物産資源は、いくら「頑張って」も地から湧いてくるものではない。日の丸染めた鉢巻きして竹槍もって突進する時代ではない。75年前だってそんなことは世界のお笑いぐさだったのだが、井の中の蛙大海を知らず状態の日本国民の狂気は、広島と長崎に原爆を落されてはじめて「本当の世界」と向合うことになったのだ。 そんな地獄を経験したにもかかわらず、戦後の原水禁(原水爆禁止運動)は数年も経たずして内部分裂し、やれ誰が指導者になるだの政党がちがうだの、-------バカはいつまでたってもバカ。戦争の生き血をを甘い汁として吸っていた者達がいたというこを知ってか知らずか、その「利口者」に手玉に取られるはめになって今日の日本がある。なんと「美しい」ことか! 地球の反対側、ブラジルのリオデジャネイロでは、今日、オリンピックが開催された。私もTVで3時間余の式典を観た。日本選手団の登場は広島原爆投下の時間に合わされて演出されていた。 このオリンピックで初めてのことがいくつかある。ひとつは「難民選手団」の受け入れである。もうひとつはオリンピック名誉賞がケニアのキプチョゲ・ケイノ氏(Kipchoge Keino, 1940-)に授与されたこと。ケイノ氏は元陸上競技の選手。現在のケニアの陸上中距離を世界的な位置に押し上げたばかりではなく、貧困児童の救援、学校設立など、同国の教育のために尽力しつづけていられるという。 そのお名前を私は記憶にとどめ、敬意をもってささやかながらここに記しておこう。