東京外国語大学アレクシエーヴィッチ氏特別講演
多忙だったので三日間、日記を書かなかった。 昨日は、4日(日曜日)に開催する社会福祉協議会主催の「歳末たすけあいバザー」の準備を、午前9時から11時30分まで。一旦帰宅して、次に午後5時から6時30分まで、東京都民生委員・児童委員および兼任の日野市福祉委員の、私にとっては再任二期目の委嘱式に出席。厚生労働大臣と市長、それぞれから委嘱状を受けた。平成31年11月30日まで向こう3年間、再び地域の福祉活動にたずさわる。 と、こんなことを書いていたら、さっそく地域の高齢者見守りネットワークから、高齢者のための学習会を開催して美術講義をしてくれないかと言ってきた。2月を予定しているそうで、承知の返事をした。 再来週14日(水)は、隣町のクリニックで3回目の講義を頼まれている。--------------------------- さて、去る28日(月)に私は東京外国語大学へ行った。2015年度ノーベル文学賞受賞者、ベラルーシのロシア語作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ氏が同大学から名誉博士号を授与され、その式典に参列し記念の特別スピーチを拝聴するためだった。 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ氏の著作は、膨大な聞き取りによる市井の人々の証言記録であるが、記録文学がノーベル文学賞を授与されたのは史上初めてのことだった。授賞理由は、「苦しみと勇気に捧げられた記念碑」であると讃えていた。処女作『戦争は女の顔をしていない』(1985)をはじめ、主要著作はすべて邦訳が出版されている。すなわち、『ボタン穴から見た戦争』(1985)、『アフガン帰還兵の証言』(1989)、『チェルノブイリの祈り』(1997)、『セカンドハンドの時代 「赤い国」を生きた人びと』(2013)である。 『アフガン帰還兵の証言』は、原題を『亜鉛の少年』という。アフガン戦争で戦死した、あるいは殺された少年たちの屍体が、あまりにも惨たらしかったので、亜鉛の棺に密閉された。原題はそれに由来する。 東京外国語大学の名誉博士号授与のアレクシエーヴィチ氏の「功績書」には、次のように記されている。 《(前文略)壮大なユートピア的実験であった社会主義国家ソ連に生きた人々のさまざまな思いを聞き取り、人道的な立場から「ソヴィエト的人間」とは何だったのかを問い続けるアレクシエーヴィチ氏の文学的営為は、旧ソ連という国家の枠を越えて人類の普遍的な価値を模索し、形而上学的課題を追求する深い思索を伴うものであります。 世界の多様な文化の共存・共生に寄与することを使命とする東京外国語大学は、「耳の作家」として多様な人々の声を聞き「多声的(ポリフォニック)」な様態を多くの読者に伝えてきたアレクシエーヴィチ氏の真摯な姿勢に深く共鳴するとともに、その創造的な著作が人類の未来に対して極めて大きな貢献をなしていることを称え、ここに名誉博士号を授与することにしました。》 アレクシエーヴィチ氏の講演は非常に重かった。 氏は第一に「自由」について考えてきたと言う。しかし、たいていの人達は、「自由」とは何かを知りはしないのだ、と。刑務所や強制収容所に入れられている人間は、誰もが自由を夢見るが、それだからといって決して自由を知っていることにはならない。知識人達が自由を語ったとしても、頭でっかちが自由を理解しているとは限らないのだ、と。そして、こういう話をした------- 「かつてのソ連人が新時代に放りだされて20年以上が経ち、再び帝国の建設に乗り出しました。全世界を敵にする覚悟です。ここでまた問題が浮上します。なぜ人間は自由を拒むのか。なぜ自由がいらないのか。」 プーチン政権下のこの現状指摘は鋭い。そしてこの時代錯誤的な逆行は、ロシアに限ったことではない。いま、日本もまさに安倍政権下で進んでいるのは時代の逆行である。安倍政権を強力に支援している胡散臭い団体「日本会議」の大東亜戦争下におけるような愛国主義的な主張、そして憲法改正政策をめぐって「明治憲法」をもっとも範とすべきと呆れるような愚論を公言する国会議員。アメリカ合衆国もまた然り。ヨーロッパ諸国においても世界分断の思潮が渦を巻き始めている。 アレクシエーヴィチ氏は、この歴史逆行を「セカンドハンドの時代」と言う。つまり、私が補足するなら、2001年9,11以降の世界を望見し統一する新しい社会を創造する理念、新しい哲学-------すなわち新しいグローバル・パラダイム理論(地球全体の規範理論)が生み出せないまま、一度は否定して乗り越えたはずの使い古した思想に、鍛えた知性の持ち主ではない(狂犬的)強権者がしがみつこうとしている。彼らは世界を二者択一の単純な手続きによって、つまりもっとも簡便な方策によって、困難な局面を乗り越えようとしているのだ。 だが、このような状況をつくりだしているのは、何も狂犬的な強権者だけではない。一般民衆もその愚行を押しているのである。アレクシエーヴィッチ氏は言う。「私たちは奴隷どころか、夢見る奴隷だったのです。」と。 アレクシエーヴィチ氏は来日後、福島県を訪れ、多くの人達から話を聴き、また、福島原発の現場をも遠くから見てきたという。 「チェルノブイリと福島原発の状況は、まったく同じでした。そして事故後に自殺者が出ていることも同じで、その自殺者はみな土に結びついていた人達でした。農業者であり、畜産業者などです。チェルノブイリでは現在も30km以内に近づくことはできませんが、福島原発ではすでに帰還を許していて、それがどういう理由によるのか私には理解できません。放射性物質は百年、二百年、一千年は放射線を出しつづけます。私が不思議だったのは、被災者たちが国に対して抵抗しなかったことまで、チェルノブイリと同じなのです。福島ではたったひとり、祖父を亡くすはめになった人が、提訴して抵抗の意志をみせています。チェルノブイリは全体主義によって人心がコントロールされていたので抵抗が無かったのですが、日本の場合はなぜ抵抗がなかったのか。提訴した孫のように、もし1,000人の抵抗があったなら、政府の対応も変わっていたかもしれないと、私は思いました。」 そして、アレクシエーヴィチ氏は次のように述べた。 「人間に残された人間らしさを私たちはどうやって守るのか。この問いに対する答えを私は探しているのです。私は人間の魂を集めます。それは影も形もなく、掴みどころがないと言われるかもしれません。芸術にはそれができるのです。どんな時代にも、それなりの答えがあるのです-------」