シェイクスピアの考える「画家」
終日、作品制作。 制作中に画廊の担当者から電話が入った。「制作中です」と言うと、気をきかしてくれて1分ばかりで切った。 と書いて、一度アップしたが、あまりにも味気ないので、シェイクスピアのソネットを訳出してみる。 「ソネット24」は、シェイクスピアが恋人に宛てた恋の詩であるが、比喩として「画家」を使っている。シェイクスピアが画家をどのように考えていたかを指摘するには早計すぎるが、しかし、私のような実際の画家にはなかなか辛辣な批評ともなっていて、ドキッとする。現代日本の画家たちは---それは大家といわれる人たちも含めて---しばしば、「心を描く」と言う。私は、自分ができないことでもあるからだが、じつはその言葉を信じたことはない。次に紹介するシェイクスピアの「ソネット24」は、そのような観点を披瀝していると言える。そこが私にはおもしろい。翻訳の責任は、私、山田維史にある。かなり意訳をしているが、誤訳を恐れながらご覧にいれる。 William Shakespeare 〈SONET 24〉 Mine eye hath played the painter and hath stell'd Thy beauty's form in table of my heart. My body is the frame wherein 'tis held, And perspective it is the painter's art. For through the painter must you see his skill. To find where your true image pictured lies; That hath his windows glazed with thine eyes. Now see what good turns eyes for eyes have done: Mine eyes have drawn thy shape, and thine for me Are windows to my breast, where-through the sun Delights to peep, to gaze therein on thee; Yet eyes this cunning want to grace their art; They drawn but what they see, know not the heart. 私の目は画家になってとどめていた 私の心の目録にあなたの美の形を。 私の体はそれを掲げた額縁 そして視点は、画家の芸術。 だからあなたはその技量をごらんなさい。 あなたの真のイメージを見つけるために。 それは彼の窓をあなたの目で見つめること。 見たことで良いことが目を変えるのを知ってください。 私の目はあなたの姿を描いた。私のためのあなたの姿 私の胸には窓がある、太陽を透かして あなたを覗き、あなたを見つめて喜ぶ。 狡猾な目だけれどその芸術を飾ることを望む; 見たものを描いたが心でないのを知っている。 (山田維史 訳)