「神田三崎町」と「神田猿楽町」から
あれッ、そうだったのかい? と、自分のうかつさに気づいたのは、千代田区の三崎町と猿楽町がかつての町名である「神田三崎町」と「神田猿楽町」に戻すというので、私は「三崎町」と「猿楽町」が正式町名だったとは知らなかったのだ。てっきり三崎町といえば神田、猿楽町といえば神田なので簡略化した通称だと思っていた。というのも、私がかけだしのイラストレーターだったころ、「神田三崎町」にも「神田猿楽町」にも仕事を依頼して来る出版社があり、しばしば訪れる町であった。当時は神田三崎町であり、神田猿楽町が正式な町名だったはず。たしかに、今回の旧町名に復すという報道で、神田三崎町は1967年に三崎町に改称し、神田猿楽町は1969年に猿楽町に改称したと解説している。 おそらくその1960年代以降だろうと思うが、やたらと町名弄りが行われるようになった。東京のみならず地方においてもその傾向があったのではあるまいか。 私は、1968年に郵便番号制度が始まったことと、1980年代半ば以降5,6年間のいわゆるバブル景気による不動産取引に関する住民感情、すなわち地名印象(イメージ)の問題がからんでいたのではないかと推測する。 この両者はじつは文化破壊を引き起こしたといえなくもない。どこに行っても、やれ「光」だ「豊」だ「朝日(旭、朝陽、向陽、曙、日の出)」だ、「栄」「緑(若葉、青葉)」「桜町、桜ヶ丘、桜木、桜堤」「中央」「新町」、果ては「昭和」と来る。まるでチホウ的状況。「地方」ではない、「痴呆」だ。 私は、こと地名に関しては保守的だ。昔からの地名には、地政学的、地理学的、歴史的に非常に重要な問題が刻み付けられている。地面がどのように開発され、あるいは地形の変形をもたらされようとも、地名が残っていればその地がどのような変遷を経て今現在に至っているかが判るはずだ。それは人智の進み行きを示しているであろうし、あるいは人智の到らなさを示しているかもしれない。昔の地名は文化財なのである。 このたび千代田区(この区名も新しいのであるが)の三崎町と猿楽町が旧に復したのは如何なる理由か、私は詳しいことは知らない。この件についての賛否があるようだが、否定の理屈はおそらく地名印象の問題、すなわち不動産売買関連の問題(さしあたりの個人的な金の問題)であろう。地名文化財問題の発生する気遣いはなさそうである。