岩手県黒石寺蘇民祭の終了をめぐって
我が家の小庭の片隅のアガパンサスが6cmほどに芽を出した。一昨日、外出の際にはまったく影も形もなかったのに、わずか1日半でこの勢い。すごいなー。そしてたしかに春が来ている。 この緑濃い芽を見て、一部の庭木の雪避けをとりはずした。こちらも小さな小さな若葉が出ていた。 ところで朝日新聞の朝刊に岩手県奥州市黒石寺の雪中の(「夏祭り」と称する)伝統行事「蘇民祭」が、今年を最後に1000年といわれる歴史を閉じるという。日本全国各地に存在する主に稲作豊穣祈願のための、いわゆる裸祭りの最も代表的な例である。 黒石寺蘇民祭のほかに会津福満虚空菩薩圓蔵寺七日堂裸詣り、岡山県西大寺会陽、愛知県国府宮裸祭り、同じく愛知県美浜町上野間神社身代わり若衆裸参り、伊賀市陽夫多神社裸裸押し豊穣祈願、京都日野法界寺阿弥陀堂裸踊り、江ノ島八坂神社天王祭、香川県善通寺大会陽、小豆島木馬夏祭り盆踊り、沼津市厳冬海中禊祭り、千葉県四街道市和良比裸祭り(どろんこ祭り)、秩父荒川猪鼻熊野神社甘酒こぼし、磐田市下太八王子神社米とぎ祭り・・・等々。ちょっと思い出しただけでもこれだけの伝統行事としての裸祭りがある。 黒石寺蘇民祭が終了するのは、関係者の高齢化や担い手不足であるという。この終了を前にして黒石寺住職がニュース番組のインタヴューに応えて、「裸であることが大事なのではない」という意味の発言をしていた。私は、おやおや、と思った。まことに失礼ながら、住職さん、裸祭りの本意について知識が不足していられませんか、勘違いをしておられませんか、と。 豊穣祈願の祭りで男が裸になって福男と称す、あるいは神男と称される役目に就くのは、それなりの意味があるのである。これらの裸祭りでは、女が裸になることはない。いかに男女平等の時代になっても、裸になって祈願するのは男なのである。ありていに述べれば、豊穣祈願は性神信仰と深いところで結びついていて、いわば男の種まきを象徴化しているのだ。男たちは禊で身を清め、男の裸を捧げて生殖能力を神に祈るのである(後註)。岡山西大寺の会陽や国府宮の会陽における選ばれた「神男」が、文字通り素っ裸になり全身の体毛をすべて剃りおとす。数百人の褌一本の男たちが、神男に触れて御利益を得ようと殺到してもみあう。神男は一心を賭し、また一身を賭して地域住民の祈願の代理を務めるのである。黒石寺蘇民際においても蘇民袋の宝木を争い求める男たちの多くが、かつては素っ裸であった。それは神によって霊力を付与されるべく捧げられた清らかな裸体である。 どの地域においても時代の趨勢に逆らえないことは出てくるだろう。しかしかつて在った祭りの「本意」を忘れたり曲解したりすべきではない。その「本意」にこそ文化があるのだ。【註】禊した男の裸体が豊穣祈願と性神信仰が結びついた象徴儀礼となっている例は、大相撲にも見られる。横綱の土俵入りで化粧回しに横綱(降雨を祈願する稲妻を象徴化した垂(しで)を飾った注連縄)を締めているが、土俵上でこの化粧回しを両手でヒョイとわずかに持ち上げる仕草をする。おそらく現在ではその意味を尋ねる人はいないであろうが、これはまさに男性器を神にお見せして稲作豊穣のための霊力を賜る祈願の象徴化である。土俵上で四股を踏むのも大地(あるいは大地母神)への祈りである。土俵に女性が上がらないというしきたりは、女性差別では全然無く、女性は大地そのものだからである。女性はここでは崇められているのである。 相撲は漁撈民族隼人族から発祥したと考えられている。漁撈民族が裸体であること常態であるが、稲作民族に統合支配される過程で、相撲もまた稲作豊穣儀礼となってきた、と私山田は考えている。 しかしながらその稲作豊穣祈願としての本来の信奉は忘れ去られておそらく久しい。国際的な人気のスポーツとなった相撲は、いくら「伝統」を強調しても豊穣神信仰は形骸化しているのである。 An example of a ritual in which the nude body of apurified man is used as a symbol of prayers for fertility and belief in sex gods can also be seen in O-sumo (the great sumo wrestling). When a yokozuna (cham-pion) enters the dohyo (the ring), he tightens his yoko-zuna (the shimenawa rope adorned with a shide sym-bolizing a lightning bolt to pray for rain) as a kesho-mawashi (a luxuriously embroidered make-up apron),but when he enters the ring, he slightly lifts the kesho-mawashi with both hands. Although no one wouldprobably ask about its meaning today, it is a symbol ofa prayer for showing the male genitals to God and receiving spiritual power for a fertile rice crop. Steppingon the shiko (legs) on the ring is also a prayer to the earth ( or the mother goddess). The custom of not allowing women to the enter the ring is not discrimi-nation against women at all, it is because women arethe earth itself. Women are worshiped here. Sumo is thought to have originated from the Hayatotribe, a fishing tribe. It was common for fishing tribesto be naked, but I, Yamada, am thinking that in theprocess of being integrated and controlled by the ricefarming tribe, sumo which originated from the Hayatotribe had also become a rice harvest ritual. However, its original belief as a prayer for a rich riceharvest had probably been forgotten for a long time.No matter how much sumo wrestling, which hasbecome an internationally popular sport, emphasizesits "tradition," the belief in the god of fertility hasbecome a mere token.Tadami Yamada