花嫁は童謡のなかで淋しそう
東京各地の桜の名所はほぼ五分咲き。満開のところもある。明日の日曜日は天気も良さそうだし花見客で賑わいそう。 ところで私はそんなニュースを目にしながら、思わず知らず口ずさんでいたのは童謡「花かげ」。「十五夜お月さん ひとりぼち/桜ふぶきの 花かげに/花嫁すがたの お姉さま/車にゆられて ゆきました」(大村主計作詞、豊田義一作曲、昭和6年;1931)。 ・・・この童謡からつぎつぎに連想して、「花嫁人形」「金襴緞子の帯しめながら/花嫁御寮はなぜ泣くのだろ/文金島田に髪結いながら/花嫁御寮はなぜ泣くのだろ」(蕗谷虹児作詞、杉山長谷夫作曲、大正13年;1924)。 「雨降りお月さん」「雨降りお月さん 雲の蔭/お嫁にゆくときゃ 誰とゆく/ひとりで唐傘 さしてゆく/唐傘ないときゃ 誰とゆく/シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた/お馬にゆられて 濡れてゆく」(野口雨情作詞、中山晋平作曲、大正14年;1925) 三曲とも嫁入りを歌った大正時代の童謡である。ここで私は不思議に思った。いずれも花嫁を楽しく祝福していないことに。私は男だから嫁入りの気持ちを分からない。しかしこれらの童謡の作詞をしたのは男性である。 童謡ではないが西條八十作詞、古賀政男作曲の「誰か故郷を想わざる」の二番は「一人の姉が 嫁ぐ夜に/小川の岸で 淋しさに/泣いた涙の 懐かしさ/幼馴染の あの山この川/ああ 誰か故郷を想わざる」(昭和15年;1940) この詞は、「花かげ」の姉妹の別れと同じような姉弟の別れである。仲良しきょうだいの家族の別離。ただし、「花かげ」の三番の「遠いお里」という言葉から、この時代の日本の結婚が、個人の恋愛に帰すというより「家」の問題だったことが察せられる。このことは、ずっとゆるくなって結婚するふたりの愛が強調されているが、「瀬戸の花嫁」(山上路夫作詞、平尾昌晃作曲、昭和47年;1972) の姉弟の別れの陰にうっすらと揺曳している。 童謡「みかんの花咲く丘」(加藤省吾作詞、海沼實作曲、昭和21年;1946)は戦後すぐに発表された。童謡歌手川田正子さんが歌うために作られたという。三番に登場する「母さん」については説がある。戦争で母親を亡くした子供が大勢いるので、その子供たちにとってこの「母さん」という詞は辛すぎるであろうと、「姉さん」に変えられたという。 しかし、現在この歌をうたうひとは「母さん」と歌っているにちがいない。・・・私の説にすぎないが、私は原詞はむしろ「姉さん」だったのではないかと思う。その理由。歌詞の一番および二番に登場する船は、嫁入りする姉が乗っていた船だ。「瀬戸の花嫁」と同じに、姉さんは船で嫁入りしたのである。かつて仲良く姉妹(あるいは姉弟)ふたりで眺めた海。その海をいまひとりぼっちになって眺めていると、黒い煙を吐きながら島影に消えて行った姉さんを思い出す。・・・「みかんの花咲く丘」はこうして一番、二番、3番が意味のある一繋がりになる。「みかんの花咲く丘」はそういう歌なのだ。 ・・・ハハハハ、桜咲くニュースから童謡「花かげ」を口ずさみ、連想が連想を生み、なぜ日本の花嫁は淋しく悲しそうな歌に詠まれるのだろうと思いながら、「みかんの花咲く丘」へやって来た。【追記】 童謡「赤とんぼ」を思い出した。「1、夕焼け小焼けの 赤とんぼ/負われて見たのは いつの日か/3、姐やは十五で 嫁にゆき/お里のたよりも 絶えはてた」(三木露風作詞、山田耕筰作曲、大正10年;1921)。この詞には三木露風自身の幼い日の思い出が描かれていると言われる。三木露風が5歳のときに両親が離婚し、彼は祖父の家にあずけられた。面倒をみたのは子守の姐や。その背中におぶわれて赤とんぼが舞う光景を見た。しかし姐やは嫁に行ってしまった。ひとりぼっちになってしまった。「夕焼け小焼けの 赤とんぼ/止まっているよ 竿のさき」。・・・せつない日本の光景である。