昼食後、運動のために自転車で2時間ほどの遠出をした。先日健康検診の結果を主治医から知らされたとき、主治医が「少し運動をするように」と勧めた。せっかく上々の健康状態なので、これを維持するためにも運動をするのがよい、ということだろう。私自身もそれを自覚していた。
運動にもいろいろあるだろうが、私は運動専一目的の時間をつくるのは性にあわない。長続きしないことが初めから分かっている。アスリートではないので、何かほかのことも同時にやりたくなるのだ。人と一緒にやるのもだめだ。・・・歳を取ってから、特に気が短くなったのか、一度に幾つかのことをやる。それは却って失敗するだけだし、場合によっては危険なのだが、つい、やってしまう。時間がない時間がないと思うと、たとえば、服を着ながら菓子パンを銜え右手でメモを取り靴をはこうとする。・・・せいては事をしそんじる。急がば回れ。二兎追う者は一兎をも得ず。短気は損気。・・・みなそのとおりでござんす。「しかし」とくるわけだ。
そんな性分の私が、これならばと始めたのが自転車の遠出。50歳を機に始めて27年間つづいている。自転車を走らせながら、四季を楽しむ。行き交う人々をながめる。時には作品になりそうな素材を拾う。木々の葉や鳥の羽や昆虫の死骸、あるいは石ころや鉄屑などだ。古本屋があれば立ち寄ってみる。思いがけない掘り出し物をすることもある。
じつは今日も本屋に立ち寄った。ジョン・W・ダワーの著書を3冊買った。ダワー博士は現マサチューセッツ工科大学教授であるが、第二次大戦中と戦後の日本研究に私は瞠目する。その『敗北を抱きしめて 』上・下巻の増補版をみつけた。この本でダワー博士は「日本の非軍事化と民主化はなぜ挫折したのか?」と問うていられる。たいていの日本人にとっては、「えっ?」と思うであろう設問である。自らに対する日本人の目の曇りを指摘するダワー博士の鋭さである。