きのうは子どもの日だった。子どもはどこの国の子どもでもすばらしい。やさしさがある子も、きかん坊も、当方がおとなとして充分成熟した包容力があれば、みな可愛いと思えるものだ。
そんななかでも、私はとびぬけた才能を発揮している子どもに注目してきた。さまざまな分野があり、そのそれぞれに世界を驚嘆させる才能の子どもがいる。
芸術の分野に限定して、私が数年前から注目してきたのはピアニストのアレクサンデル・マロフィーフ (Alexander Malofeev)さんである。私には芸術的な営為を「子どもだから」という目で見たり聞いたりする意識がまったくない。可愛いなどとも思はない。当然ながらアマチュアには初めから関心がない。論評しようがないのである。アレクサンデル・マロフィーフさんについてはすでにこのブログに書いたことがある。9歳ころから大きなステージに出演しはじめ、現在は21歳になられ、他国の大学に特別講師として招かれその大学でピアノを学んでいる選り優れの学生に教えることもあるようだ。マロフィーフさんは、演奏技術は言う迄もないが、楽譜にどんな感情や物語のようなことが書かれているかを読解する特別な感受性をもっていられる、と私は思ってきた。
そしていままた、私はひとりのクラシック音楽の少年歌手に注目している。マラカイ・バヨー (Malakai Bayoh)さんである。13歳のこの少年は、TVショーに出演して見いだされたようだが、その後、プロフェッショナルのクラシック・ミュージシャンから招かれてキャリアを積んでいる。ポール・ダニエル氏指揮の英国国立歌劇場交響楽団と共演し、ロイヤル・アルバート・ホールにおいてモーツァルトの『ハレルヤ』を歌って輝かしいデェビューをした。モーツァルト歌曲おとくいのコロラチュラをみごとに歌っている。
マラカイ・バヨーさんの歌声は、「聖なるハーモニー」といわれる963ヘルツに大変近い波長らしい。・・・15歳頃の身体的な成長をどのように超えていくか。そのときこの歌声を維持できるかどうか。彼の行手には大きな壁がまちうけているであろう。すぐれた指導者に出逢うことを私は願う。
私がごちゃごちゃ言うことはない。YouTubeにお二人の演奏が掲載されている。この動画撮影時、バヨーさんは13歳、マロフィーフさんは12歳のときのサンサーンスのピアノ協奏曲2番である。マロフィーフさんのほうは、10歳のときのグリーグのピアノ協奏曲ロ短調、15歳のときのラフマニフのピアノ協奏曲2番と、最近21歳のチャイコフスキー『胡桃割り人形』より「パ・ド・ドゥ」の演奏も掲載しておこう。
天正遣欧の少年たちは、日本が世界に耳目を開こうと派遣された歴史的に初めての文化使節だったと言ってよいだろう。正使2人と副使2人と従者2人の少年たちは、1582年(天正10年)日本を出発したとき、13歳(もしくは12歳)と14歳であった。
若桑氏によれば日本の多くの歴史家は、天正遣欧の少年たちについて、世界に向けられた文化的視点で考察することが少なかったようだ。少年たちは歴訪した国々や多くの都市で熱烈に歓迎され栄誉を受け、その気品と知性で、教皇をはじめすべての貴顕を驚嘆させた。しかしその事実さへ、閑却する歴史家がいる始末だ。少年たちが8年後 (1590年)に帰国したとき、彼らはラテン語、ポルトガル語、イタリア語に習熟してい、最年少だったらしい原マルティーノは帰国途中のゴアでラテン語で演説さへした。そのみごとな演説は当時のキリスト教世界で有名になった。そして日本語訳が、グーテンベルク印刷技術を学んだ従者の二人の少年によって、ただちにゴアで出版された。しかし、それさへ日本では現代まで無視された、と若桑氏はイエズス会古文書史料に当たって述べていられる。
しかし、艱難辛苦の末に帰国した少年たちには残酷な迫害が待ち受けていた。少年たちを待ち受けていたのは、自己の名声と一族の家系の永続のみを考えて日本を支配し、富と数多の女を収奪し、侵略によって世界を手中にしようとする、淫乱で残虐な心性をもった男(豊臣秀吉)だった。そして徳川家康、秀忠、家光とつづく言語を絶する虐殺の法社会だった。
ついでに述べよう。
現在、何やら三島由紀夫が出版界で復活する兆しがあるように私は思う。日本の雅な文化的心性の奥に、常に暴力的心性がはりついていたことを、はっきり認識していたのは、三島由紀夫である。彼はその認識を外国のインタビューアーに英語で説明していた。そして彼はその日本文化の表裏を一身に体現し、裏にあったことを制度として表に出そうとしていた、と私は指摘する。日本社会にキナ臭さが漂ういま、三島由紀夫死して53年後の復活の兆しはそのキナ臭さとあながち無縁ではないかもしれない。