米タイム誌電子版の5月22日・29日号(9日発売)が、岸田首相を表紙にした「日本の選択」と題した記事で、「岸田氏は数十年にわたる平和主義を放棄し、日本を真の軍事大国にしたいと望んでいる」と書いた。
これに対して林芳正外相は、タイム誌に「表題と中身に乖離がある」と申し込んだと、12日午前の記者会見で明かした。(毎日新聞 デジタル 13時44分)
タイム誌はその後、「平和主義だった日本に、国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている」と書き換えた。(同上 川口峻記者)
林外相の記者会見に先立つ11日、松野博一官房長官が記者会見してい、このタイム誌の記事に対して、「世界の分断を防ぐ歴史的な役割を担う指導者との論調となっており、記事全体としてそうした説明が反映されている」と評価した。(毎日新聞 デジタル 5月11日13時51分)
さて、岸田首相についてのこのタイム誌の記事と、日本の官房長官と外相との対応(お二人の読解を含むはず)を、私はどのように読んだらよいだろう?
まず私が重要だと思うのは、このタイム誌が指摘したように、これまでは日本が「平和主義」だったことが他国で認識されていたことだ。まさに世界に冠たる日本国憲法の平和主義宣言が他国に理解されていたことを示している。そしてその認識が崩れたのである。
官房長官と外相との読解は微妙に異なり、また微妙に一致していると思えるが、しかし私はタイム誌の論評は最初の文言も、あとで差し替えた文言も、真意は変わっていず、しかもその「数十年にわたる平和主義を放棄し」たという見方は図星であると思う。岸田氏にとって、否、平和主義を土俵際で踏み堪えながらも維持してきた日本にとって、まことに残念な国外の視線ではある。が、少なくとも私は「タイム誌の論評は鋭く正鵠を射ている」と思う。
まさかとは思うが、岸田首相は国内外向けにその場その場の当たり障りのないとご自分が思っている政策を、信念に欠ける言葉で語り、その後はまるで「虚仮(こけ)の一念」のような胆力(聞く耳をもたない頑固さ)で乗り切っている。外相と官房長官とに微妙な差異があるのは、岸田氏が首相として万全の信頼を得ていないからではないか。そして岸田首相が現実路線と思っている政策、とくに軍事面における議論なき決断は、日本国内の真の知識人のみならず一般国民からも危惧されていることがらであるが、国外の目には、外相や官房長官がいくら抗弁しようとも、「日本は平和主義を捨てて軍事大国をめざしている」と理解されているのである。この問題に対する日本政府と外国の政府との理解の落差は大きい。
横道にそれるが、昔、私はある私的なパーティーで米国の経済関係の記者と知り合った。その記者が私に話した短いコメントが忘れられない。
そのアメリカ人記者は、こう言った。「日本では企業戦士とかビジネス戦士というが、アメリカ人の私には強烈な表現なんです。経済に関してアメリカ人はゲーム感覚なんです。だから、戦士という表現に、とっさに身構えてしまうのです。国際的な経済交渉の場ですくなくとも感覚的には日本は不利になっているかもしれません。」
岸田首相に対して首相自身が思っている以上に外国政府は身構えているのだ、と私は思う。それはとりもなおさず日本に対して身構えているということだ。それが日本にとって「利」となるか「不利」となるか、そこが問題である。私は文化的な問題しか語れない。