私にとってのスター歌手は越路吹雪さん。それは20歳代からずっと変わらない。
貧乏学生が親からの仕送りをすぐさま本の購入に使って、一ヶ月間の食費もほとんどなく、パン屋でサンドウィッチを作った残りの耳を買ってしのいでいた。たしか10円か20円だった。ただ、越路吹雪さんのリサイタルやミュージカルを聞くための費用は残しておいた。その当日は、日生劇場のレストラン「アクトレス」を予約し、フランス料理のプチコースにワインを幕間に楽しんだ。スーツを新調することもあった。
何が貧乏学生だと言われそうだが、パンの耳を食っていたのだから貧乏学生にはちがいない。そんな食事をしていると知った母が、大きな木箱のリンゴを送ってくれたものだ。当時はダンボール箱がなかった。学生アパートに重くでっかいリンゴ箱が届くので、大家さんが何事かと驚いていた。
そんなわけだから、越路さんが亡くなったときはショックだった。たしか六本木の或る事務所にいたときにそのニュースが入ってきたことを覚えている。
ところで8年くらい前だったが、大竹しのぶさんがエディット・ピアフを演じられた。そして劇中歌でピアフの曲を大竹さんご自身が歌われた。越路吹雪が生涯の持ち歌としていた『愛の讃歌』も、大竹さんは歌った。私はびっくりした。うまいのだ。大竹さんは優れた俳優であるが、顔、姿、ピアフを彷彿とさせるのみならず、その歌がすばらしかった。ピアフの声は独特で、だみ声のようだとも言われるが、同時に二声、あるいは倍音が出ているのではないだろうか。大竹さんの歌声はもちろんピアフとは違う。しかし、太く、強い。
『愛の讃歌』は多くの歌手がうたっている。越路さんの『愛の讃歌』の訳詞は岩谷時子氏だが、他の歌手は違う訳詞でうたっている。大竹さんの訳詞も、ピアフの原詞に比較的忠実であるが、日本語の詞としてはやや生硬と私は感じる。しかしながらまるでピアフが乗移ったような大竹しのぶさんの歌は圧倒的にすばらしい。
大竹さんのシャンソンを聴いていると、言葉の一語一語にドラマがあることに気づく。フレーズに、ではない。単語に、である。大竹さんが優れた俳優であることと無関係ではないだろうが、詞の一語一語にこめられているドラマ・・・詩人がこの言葉でなければならないとした一語の人生の喜びや哀感を表に出せる歌手は、私は越路吹雪さんと、歌謡曲歌手では美空ひばりさん以外に知らない。私が思うのは、人生の喜怒哀楽を通俗的な「概念」でまとめられない、ということだ。
もう数年前のことらしいが、指揮者の佐渡裕氏が司会するTV番組に大竹しのぶさんが出演され、ピアフのシャンソンをお歌いになられたようだ。じつは今日、私はその番組の録画をYouTube で観た。そして8年ほど前の感動があらためて蘇った。大竹さんが言っていられるが、「ピアフ」の芝居の劇中歌ではない『群衆』(E. ビセオ作詞、美輪明宏訳詞)と『水に流して』(M.ヴォケ作詞、岩谷時子訳詞)を、大竹しのぶさんが歌うのを私は初めて聴いた。
大竹しのぶ氏『群衆』『水に流して』
ピアフ/グレイテスト・ヒット曲アルバム