おやッ、雨だ。間も無く午後8時になるところ。
・・・昼前、よんどころない用事で外出した。目的地についたとたんに、ポツリポツリと小雨が顔にあたった。すれちがった若い男が iPhone を取り出して、「雨が降ってきたから洗濯物いれておいて!」と言ったのが聞こえた。私は、この男の電話の相手は誰だろうと、ふと思った。妻か? 子供か? ・・・そのどちらかでこの男の物語がちがってくる。
それ以上を私は想像をしなかったし、いま、雨音を聞くまで忘れていた。
そうそう、出先でもうひとつの光景を目にした。
年配の痩せぎすの男が或る店先に駐めた自転車から離れて、前輪のわきで膝を折って腰を深くかがめた。そして何か虫らしいものをそっと摘まみ上げた。私はちょっと好奇心にかられて、しばらく立ち止まって見ていた。年配の男はそろりそろりと歩き、道端の小流れの柵に行き、手にした虫を柵に置いた。私はますます興味深くなった。男の心がわかったのだ。男が摘んでいるのは、どうやら脱皮寸前の小さな蝉らしかった。それを柵に止まらせようとしているのだ。・・・しかし、脱皮前の蝉は、柵には止まりたくないようで、男の手の甲にゆっくり這い上がってきた。自分の手の甲のちいさな虫を、男はじっと見ている。やや当惑しているようでもあった。
・・・蝉君、きみは良い人に出会ったね。自転車置き場にいたら、きっと踏みつけられただろう。・・・私はその場を離れた。