去る10日、会津若松市で400年の伝統の初市、十日市があった。市民が撮影した動画を観ると、積雪がまったくない。これは驚きである。
私が在住した65年前60年前(昭和33年から39年)は、十日市は深い雪の中が当然であった。当時は神明通りだけに露店が立ち並び、おもに会津地産の物品が商われていた。両親家族から遠く離れて暮らしていた私は、独りでぶらぶら露店を覗き、小さな起き上がり小法師を買ったことを思い出す。
現在の会津若松市は数十年前に大きな市街改造がされた。住宅地区もかつての郊外にまで拡がり、私からすれば市が一回りもふた回りも拡大した。そのせいばかりではなく、大改造の結果、私の思い出に残る風景はポツリポツリと点在するのみで、ほとんど見知らぬ町になってしまった。動画で見る十日市の様子も然りで、会津地産物の露店というより、いまや日本全国のイヴェント会場に見る、それゆえまったく特徴のない露天商が、神明通りのみならず、大町通り、その延長の昔はそんな名称はなかった野口英世青春通り、そして市役所通りに広がる賑わいである。
動画を見ながら、それでも私は大町通りの伊勢屋さんを見つけ、神明通りのレストラン三好野を見つけ、後輩の家を見つけた。
伊勢屋は私が大好きな銘菓「椿餅」(胡桃ゆべし)を製造販売する菓子屋。レストラン三好野は、高校生時代に後輩を食事に連れて行ったり、他校の女子高校生と出会う場所だった。現在は昔とくらべて小規模になったように見えたが、営業をしているのだろうか。
三好野の裏側、背中合わせにフジグランドホテルがある。19年前と17年前とに同市を訪ねたときに、中学生時代の体育の教師だった清水先生が紹介してくださり、同ホテルに宿泊した。むろん昔はなかったホテルである。そのホテルの斜向かいにツルヤホテルがある。このホテルは昔は「つるや旅館」という名称で、じつは私の父が会津若松市に出張で来たときの定宿だった。たしか中学生のときだったと記憶するが、父がその宿に来ていると知らされて私は訪ねた。玄関のガラス戸を入ると、ちょうど通りかかった仲居さんが、「ランドローバーの坊ちゃんがお見えですよ!」と帳場に声をかけた。すぐに別の仲居さんが出てきて私を父の部屋に案内したが、私は「ランドローバー」って何だろうと考えていた。後にわかったのだが、イギリスの車「ランドローヴァー」のことで、父の会社が所有していた。父は、誰かに運転させて八総鉱山から来ていたのだろう。
・・・そんなことを十日市の動画を見ながら思い出していた。へんなもので、現在の会津若松市に私は何の郷愁も感じないのであるが、やはりついつい見てしまう。まったく変わってしまった街の向う側に、幻のように立上がる街がある。私の青春の城下町である。