きょう3月1日は1954年の同日、ビキニ環礁付近の海域でマグロ漁の操業していた第五福竜丸が、アメリカの原水爆実験「ブラボー」によって放射能灰を浴びた。戦後9年にして広島・長崎につづく三度目の日本人原水爆被害である。実験に使用された原水爆が「BRAVO;ブラボー(万歳)」と名付けられていた事実が、当時の欧米諸国の原水爆に対する考えを反映している。原爆被害は実は日本が唯一だったのではなく、ビキニ環礁域の島民も被曝に苦しんだのだった。
私は第五福竜丸被曝記念日にあたり、ちょうど10年前、60周年記念日にもこのブログ日記に書いている。その記事をそっくり再掲載してみようと思う。原水爆禁止日本協議会理事長であり、大学時代の私の国際法の教授安井郁氏の思い出もある。その記事には漏れているが、被爆した第五福竜丸が焼津港に帰ってきたニュース映画を、当時9歳だった私は観ていた。TVがない時代、映画館で本編映画の前にニュース映画が同時上映されていたのである。なお掲載した昔の映画リーフレット画像はそれぞれクリックすると拡大画像になります。
【2014年3月1日の日記】
1954年3月1日午前3時42分、米国がおこなったビキニ環礁における水爆「ブラボウ;万歳」の実験により、静岡県焼津港所属の鮪漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被爆して、今日がちょうど60年目になる。「ビキニ死の灰」という言葉で語られることになるこの事件は、広島・長崎以後わずか9年で新たな原水爆被爆とそれによる死者が出たことで、世界に衝撃を与えた。
この事件の経緯を詳しくのべる余裕はないが、被爆した「第五福竜丸」は、現在、東京・江東区の東京都立第五福竜丸展示館(かつて夢の島と称していた場所)に展示されている。
ちなみに「第五福竜丸」被爆事件と被災した23人の乗組員については、最初に死亡した無線長久保山愛吉さんを中心に据え、新藤兼人が映画作品にしている。事件からまる5年後のことである。出演は宇野重吉、乙羽信子、小沢栄太郎、千田是也。
公開時、私は会津若松の若松大映で観ている。たしかワラ半紙のような紙に印刷した二つ折りのパンフレットを保存してあるはずと、幾つもの資料保存箱のうち、これか?と目星をつけて開けてみた。図星が当たって、意外に早く探し出せた。私が中学2年生の時だから、54年前の若松大映のパンフレットである。たぶん、現在残っている唯一の物ではないかしらん。ごらんいただくことにしよう。
一枚の紙の表裏に印刷していて、内側となる頁の囲み記事の執筆者に、原水爆禁止日本協議会理事長・安井郁氏の名がある。私の大学時代の国際法の教授である。もちろん映画を観た時には、数年後にはこの人が私の教授になるとは思いもしなかった。