イスラム原理主義の組織ハマスによるイスラエルに対する襲撃を起因として、昨2023年10月7日に始まったイスラエルの報復を名目とするパレスチナ・ガザ自治区にたいする攻撃は、本日2024年4月7日で半年になる。開戦以来、海外からの連日の報道を収集してきた私のファイルには約600件を上回る記事が記録されている。
本日、各報道メディアは、国連およびイスラエルとガザ当局が発表した両者の被害状況を示す数字を掲載している。
それを見ると、イスラエルのパレスチナに対する攻撃は「報復」の度を越す執拗さと残虐さがきわだつ、と私は思う。イスラエル軍の軍規では、退避勧告にもかかわらずガザ地区に残っている一般市民は、一般市民とは考えないことになっているという。したがって赤ん坊であろうと子供であろうと高齢者であろうと殺害の対象である。病院や医療施設を、ハマスの隠れ家であるとして破壊する。
・・・この執拗なまでの残虐さは何であろう。
爆破で吹き飛んだ子供の遺体が、電線に引っ掛かって腐敗していくのを、戦果として喝采しているのか? それも単なる戦争の状況というのか? それも人間的で良しと世界は言うのか?
すべてのイスラエル国民がそのような戦争政策を支持しているわけではない。この戦争を指揮する首相の退陣と新たな選挙を要求する大規模な国内抗議デモがくりひろげられているという。当然であろう。一握りの権力者が指揮する、人間に対する酸鼻きわまりない行為のために、国家が崩壊し、国民が悪の汚名を着せられるのは理不尽であろうからだ。イスラエルは大統領制である。しかしながらこの戦争に関しての国際ニュースを見るかぎり、首相の名が全面に突出している。なぜか? 私はここにひとつの病巣ありと感じなくもない。
ユダヤ民族の歴史を一口に語ることはできないが、数千年の間、いわば流浪の民であった。20世紀にはヒトラーのナチ政権によって人間とみなされず、狩られ、盗まれ、飢えさせられ、ゴミ芥のように殺害された。そういう苦難を経てイスラエルは建国された。・・・しかし、(私を甘いと言うなかれ)自ら被った残虐な経験を他人には与えないという、高貴な倫理観を世界に打ち立てることができないでいるのは、悲しくはないか? いま自らの言動に異を唱える者を「反ユダヤ」として一蹴しているが、世界人類の平和を考える人たちは、イスラエルの現政権は「反ユダヤ」のレッテルを貼ってそれを隠れ蓑にしているのではないかと疑いだしている。ハマスを完全に消滅させることを目的としているようだが、それは不可能なことだろうか。ヒトラーがユダヤ民族を絶滅しようとしたが、そうはできなかった。ユダヤ民族は激しく打ちのめされながらも立ち上がったではないか。
このまま戦闘状態がつづけば、中東はまちがいなく戦争の泥沼になるだろう。中東が泥沼になるとうことは、全世界を巻き込むことを意味する。そうではないか?