昨日にひきつづきミケランジェロの詩を翻訳してみた。この詩はローマの若い貴族トマソ・デ・カヴァリエリに宛てて書いたと推測されている。芸術創造の源である「創造の火」について述べているのであるが、トマソ・デ・カヴァリエに対する「恋の火」について告白しているとも思われる。1532年ごろに書かれた詩なので、ミケランジェロは57歳頃である。
イタリア語の原詩を昨日同様にイエール大学のJames M. Saslow氏が英訳したものを私山田維史が日本語に翻訳した。
Poem 62, ca. 1532
Only with fire can the smith shape iron
from his conception into fire, dear work;
neither, without fire, can any artist
refine and bring gold to its highest state,
nor can the unique phoenix be revived
unless first burned. And so, if I die burning,
I hope to rise again brighter among those
whome and time no longer hurts.
I'm fortunate that the fire of which I speak
still finds aplace within me, to renew me,
since alreay I'm almost numbered among the dead;
or, since by its nature it ascends to heaven,
to its own element, if I should be trasformed
into fire, how could it not bear me up with it?
(translated by James M. Saslow)
ただ火によってのみ鍛冶屋は自らの想いから
鉄を火に変えることができるのだ、愛しい作品よ;
火がなければいかなる芸術家も金を精製することも
最高の状態にすることもできない、そればかりか
最初の火がなくては比類なき不死鳥を蘇らせることも
できない。もし私が燃えながら死んでも
私は願う死の増大ともはや時間に傷つかぬ人の中で
再びいっそう輝いて立ち上がることを。
私は幸せだ私が斯く述べている火が
依然として私の中にあり、私を新しくしていることを。
なぜなら私は死者の中に数えられそうだったのだから;
あるいはその性質のごとく天に昇り、
それ自身の元素へと昇るのだから、もし私が火に姿を
変えられたなら、それに耐えられないはずはなかろう?
(日本語訳;山田維史)