やってきた弟が、我が家の前に救急車が止まっていたので驚いた。・・・いや、私は元気。あいかわらず元気だ、と言い直そう。救急車のことを私は知らなかった。ご近所に何事かがあったのであろう。
たしかに毎日のように遠く近く、どこかで救急車のサイレンが聞こえない日はない。早朝のこともある。何事が起こっているかを私は知る由もないので、救急隊の活動に思いが向く。たいへんな仕事だ。
私は民生委員だったときに、一人暮らしの高齢者につきそって、救急病院まで救急車に同乗したことがある。その人のご近所のひとたち数人からの依頼だった。救急車の中で、死ぬのではないかと不安がるその手を私は握り、「だいじょうぶです、だいじょうぶです。救急隊の方もしっかり見守ってくれていますよ!」と励ました。その人は、私の手をにぎりながら、ご自分の身に起こった事を話した。「たいへんでしたね、でも、もうだいじょうぶ。こうして手を握っていますからね」と。
その人がポツリポツリと私に語ったことは、じつは社会制度の欠陥、・・・ないしは社旗制度にくっついている人間の尊厳に関わることや人間感情に対する、無感覚あるいは非情さを指摘することであった。・・・しかし、そのことはここに書けない。その人の身に起こったことが事実かどうかを、私は確認するすべもない。
街の灯や暮れて日除けの簾越し 青穹(山田維史)