朝日新聞朝刊が興味深い連載を開始するようだ。題して『百年 未来への歴史』
今日はその序章。見出しに「外交と世論 危うい関係」。編集委員・佐藤武嗣氏は次のように起筆していられる。後に私が比較することになる別資料との関係で、その冒頭部分をそのまま次に引用させてもらう。
〈国民感情の高まりは戦争を止めることもあれば、逆に国を追い詰めて外交の選択肢を狭めることもある。内政と外交上の利益は必ずしも一致しない。政治指導者が自らの存在感を示すため、他国への嫌悪に沸く世論に同調し、時にあおることも古今東西珍しくない。〉
私はこの冒頭の一節だけで歴史検証の新しい切り口になるのではないかと期待した。同時に、三谷隆信著『侍従長回顧録』の一節が思い浮かんだ。
三谷隆信氏(1892-1985)は, 第一次世界大戦中に内務省に入省。第一次世界大戦終結後に外務省に転じ、以後、高位の外交官として主として欧州各国に駐劄(ちゅうさつ)して任務を貫徹。第二次世界大戦中はヒトラーのドイツに占領されたフランスのヴィシー政府の元で駐仏日本大使であられた。
私が思い出したのは三谷氏が駐仏日本大使であられたときの次の記述である。少し長くなるが、時勢を知る上で大切なのでそのまま引用する。
〈かくして1943年の初秋には、東部戦線ではドイツ軍の一部は既に降伏し、西部戦線においてもイタリア軍が全面的に降伏して、ドイツ軍の主力は各方面で孤軍奮闘を続けていたが、その敗色は全線にわたって日に日に濃くなるばかりであった。このような情勢のなかに、フランス国内においてもドイツの威力は地におち、ヴィシー政府は一方国内各地に澎湃として拡がる抵抗運動に押され、他方益々神経質になったドイツ占領軍に苛められた。ただ国民は近づく光明に心をおどらせていた。(『侍従長回顧録』中公文庫 p.146。太字は山田)
衆知のようにこの時代、日本はドイツ・イタリアと同盟関係であった。敵国フランス(ドイツ敗戦によってヴィシー政府はドゴール将軍政権によって敵とみなされるのだが)に日本大使として困難な立場にあられた三谷隆信氏の冷静な目は、「(フランス)国民は近づく光明に心をおどらせていた」と見ていられた。
私がこの一節に注意したのは、ここに戦争というもののいわば秘密がある、と思ったからである。どういうことか?
先に引用した朝日新聞の佐藤武嗣氏の公平な考察と三谷隆信大使の考察とを併記したときに仄見えてくること。つまり戦争に突入するのは政権の意思であり熱狂する国民であるが、いざ戦争が起こり、戦争が種種相の過程を経てくると、政権・・・特に軍部は疲弊した国民を盾にして、あるいはいまや幻想となった国民支持を隠れ蓑にして、カタストロフィ(悲劇的な大破滅)まで突き進む。私が言いたいのは、権力者の「隠れ蓑」ということ。一般の話ならば、「屁理屈」と言うところだ。現代の戦争においてはそれが著しいように私は思う。権力者の私利私欲の隠れ蓑として公論を偽装しているということである。
歴史書を閲歴して気づくのは、この権力者の「屁理屈」を歴史家は指摘できないでいる。なぜなら、そこには人間洞察と未来を見据えた考察が方法論として確立していないからである。外交官として優れた三谷隆信氏でさへ、直に接したヒトラーの思考・策謀・機転・冷酷、また装われた優しさのような感情表出については書いているのだが、しかしその因って来たるところの「狂気」を、少なくとも著書においては指摘しえていない。外交官としての抑制のためでもあろう。他の人物評は優れた洞察力で端的に書いていられるのだが・・・。
人智とすべき歴史学と私は考えるのだが、特に国史においてそのようになりにくいのは、歴史修正主義が横行するとおり情念を抜きにした科学にすることが困難なのかもしれない。
連載が始まった朝日新聞の検証が、『百年 未来への歴史』としたことは、今後深く探求してゆくならばそう容易なことではない、と私は思う。真相に近づけば近づくほど、横槍が入るであろう。