今年のノーベル平和賞に「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が授与されると発表された。原水爆被爆者に対する国家保証請願のみならず、長年にわたって「核兵器のない世界の実現」のために草の根運動として地道に世界に向けてのアピールに取り組んできた。
いま現在、世界のいたるところで激しい戦争と戦争殺人、そして核による脅しがおこなわれている。戦争好きな人間(「戦争好き」という表現は、単なるレトリックではない)が、権力熱に取り憑かれた私利私欲に、国民・民衆の支持(たしかに選んだのは民衆)という仮面をつけて、血に飢えたケダモノのように狂奔している。戦争商人たる大国は、日進月歩の先端兵器の実験と坂路拡張のために、より弱小国に代理戦争を仕掛けている。
ノーベル財団は、そのような世界の現状を鑑みて、2024年度のノーベル平和賞について該当者無しと考えたとも言われる。その考えが一転したようだ。平和賞無しで戦争の渦中にある世界の現状をそれとなく訴え、批判するより、実際行動をおこなっている「日本原水爆被害者団体協議会」を賞賛すべきだと、考えたのだろう。
無言の訴えというものは、もともと深く考えている人たちにしかアピールしない。「黙っていても、いつかは分かってくれるだろう」と、それが特に日本人の「美徳」だと思っている人も少なくはないだろうが、そんなことはないのだ。それは世間(特に広い世界)に対する「誤解」であるし、また、世間は、黙っている貴方(私)を誤解するのである。「私」は「世界」に繋がっていなければならない。声を出すこと、たとい草の根運動であろうとも行動することが大切なのだ。その意味でも、私は「日本原水爆被害者団体協議会」のノーベル平和賞の受賞を喜び、祝福する。