一昨日、私はこのブログ日記に、1880年代にパリはセーヌ河岸で発見された若い女性の遺体から作成されたというデスマスク(死面)について触れた。そしてそのデスマスクの複製を私は実際に見たことも述べ、それをもとにしてごく短いエッセイ風な短編小説を雑誌に書いたことも述べた。
その雑誌はミステリマガジン 9月号(早川書房)であるが、じつは同じ頃、東京創元社版ディクスン・カーの『皇帝のかぎ煙草入れ』のカヴァー装丁のために「ナポレオンの死面」を描いている。原画はキャンヴァス・ボードに油彩、45.5 X 53.0 cm。ミステリ作家・折原一氏が所蔵してくださっている。
この絵は写実的静物画のスタイルであるが、じつは卓上ベルとパイプだけが実物写生で、他のオブジェは私が想像で画面の中に作りだしたものである。ただし、ナポレオンのデスマスクはそれより20年くらい以前に、実物を見ていた。そのときの写真に拠って絵を描いた。現実に存在しない物品をいかにも存在するかのように描いたのだから、私は心中で、一般に「写実画」と称している絵とはいったいどんな意味があるのだ? と思いながら描いていたのだった。
その絵画スタイルについてはさておき、デスマスクに話をもどすと、私は上記のほかにもうひとつトルストイのデスマスクの実物も見ている。このときはトルストイの手から型抜きした像も見た。
内田百間に夏目漱石のデスマスクを作製する場にいあわせたことを書いたエッセイがある。その記述については上述のミステリマガジンに掲載した拙作掌篇に書いた。私の眼目はデスマスクを作ることの西欧文化と日本文化の比較にあった。私は実物を見たことがないけれども日本の偉人のデスマスクも意外に多いのである。しかしそのデスマスクをまとめてコレクションしているのを私は聞いたことがない。
アメリカのプリンストン大学美術館にはデスマスクのコレクションがある。デスマスクとライフマスクの104点からなるローレン・ハットン・コレクションである。その中にはベートーベン、ゲーテ、トルストイ、リンカーン、クルリッジ、クロムウェル、もっとも古いものでダンテ等々、歴史的有名偉人のデスマスクやライフマスク。また、私自身の仕事の思い出につながるアメリ大統領トマス・ジェファーソンの副大統領アーロン・バー(1756-1836)のデスマスクもある。・・・すばらしいコレクションである。まさに偉人たちの「面魂」を見る思いだ。「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」と古人は言った(「風体抄」藤原俊成)。デスマスクから感じ取れるさまざまな事に、絵描きとしての私の想いは向かう。
プリンストン大学デスマスク・コレクション
山田維史「ナポレオンの死面」1983年
油彩・キャンヴァスボード、45.5cm X 53.0cm
折原一氏蔵
ディクスン・カー「皇帝のかぎ煙草入れ」東京創元社
ゴア・ヴィダール「アーロン・バーの英雄的生涯」早川書房
ちなみにこの絵はすべて実物をセッティングして描いた。
18世紀型古銃は、銃身に詰め物がされている精巧なモデル・
ガン。ある会社社長某氏からお借りした。