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テーマ:障害児と生きる日常(4433)
カテゴリ:私の家族のこと
明後日から息子が夏休みに入る。家内はいっそう大変になるだろうなと思う。目が離せる息子ならいいのだけど、それがかなわないので家内のストレスもこの夏溜まるに違いない。自分も何か協力できればいいのだが、仕事が丁度忙しくなる時期で、それでも電話で話していて週に2回は帰らなければいけないなと思った。
電話口で家内が言っていたのだが、週に一回自分が帰ると息子の寝つきがとても悪いという。確かにいつもすんなり寝てくれない。だからと言って自分が帰るととても喜んでくれるので自分が帰って嫌なわけでもなさそうだ。 多分戸惑っているんだろう、と家内の話。だからせめて週に2回は帰って会えない時間を短くしようと思う。聞くと家内も娘もそれを望んでいる。 「学校がなかったら大変やろう」と電話口で話してみる。聞いてみると家内なりに色々と夏の計画はしているようだ。午前中暑さがまだましな時に外へ連れ出して発散させたり歩く練習をさせる、暑くなる昼からは家でゆっくりくつろがせる。自分が週に2回帰ってくれたらいつも息子ばかりに気をとられて娘の話を聞いてやれないので少しでもそれができる。等々。 電話口でヘッドギアとカラー、装具をつけてよたよた歩く息子とその傍らで支えながら寄り添う家内の様子が目に浮かんだ。 いつも頑張ってるなと思う。息子が思うように成長しない中、人目も気にせずに本当によく外へ連れ出してくれていると思う。他の子からはロボットみたいと言われてもめげないのは息子への愛情がそれ以上に勝っているからに違いない。私は到底家内の代わりにはなれない。 家内の腕は息子がつねったり、ひっかいたりして傷や痣だらけになっている。半袖で表へは絶対に歩けないような状態だ。それを見ると自分も否応なしに考えさせられる。 1人暮らしをはじめてもう1年になるが、この1年間、家庭内ではもちろんいい事ばかりではなった。最近になってようやく離れていても少しずつ家族がまとまってきているように感じる。 私にとっては今が一番、といっていい程に、幸せを感じられる貴重な時期に入っているようだ。仕事は忙しいが順調に拡大してきている。障害児を持つ家族の考える幸せは、そうでない家族の幸せと比べると、多分本音では話すことができないほど、ささやかなものなのかもしれない。 自分の幸せの基準とは、自分に守るべき人がいて、その人を支えてやれる余力が少しでもあるように日々努力すること、与えられた自分の仕事を全うするために、その為の努力を怠らず精進し続けていること。 だから私の思う幸せとは日々の行動に伴うものであって決して結果ではない。浮き沈みの激しい家庭だからこそ、行動しながら幸せを模索して生きたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年01月02日 22時42分02秒
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