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カテゴリ:旅行
チビともしゃ母が意気投合して、今回の韓国旅行の計画発端となった、ドラマ。
『イ・サン』 ***18世紀後期の朝鮮王朝第22代王、正祖(チョンジョ)、名はイ・サン。 陰謀渦巻く朝廷で幾度もの暗殺の危機を乗り越え、偉大な王として多くの功績を残したイ・サンの歴史ドラマです*** たぶん。だってもしゃやんはあまり興味なく・・・(アワワ) 道中、ハンガンを越える。 大きな、大きな、広い川。 ハンガンを超えると、ハンナン。 ヒュンダイが第一開発を手がけたという、高級マンション(安くても億はくだらない)が林立するエリア。 ヒュンダイの先代は、まず、土木から入ったと言うことをご存知でしょうか? 家で牛か何かを売って作ったお金を盗んで、家出をし、現在のヒュンダイを創設することとなるのですが。 たぶん。だからもしゃやんはまり興味が無く・・・(アワワワワワ(><)) もし、ご覧になるようでしたら『英雄時代』という韓ドラをどうぞ。 いよいよ、スゥォンです。 高速降りて街中を走り、突如現れます。 城壁がず~っと続いています。 城壁の長さは、5kmを越え、中国から西洋築城技術を輸入し、東洋と西洋の技術を融合させている。城郭の築造に石材とレンガが併用されている点が特徴的です。 18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖が老論派の陰謀により非命に倒れた父(思悼世子)の墓を、楊州から水原の顕隆園(隆陵)に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めました。 これが華城です。 当時の朝鮮の城塞建設技術の粋を集め、そこに西洋の技術をも合わせたのは、設計を行った朝鮮後期の実学者・丁若よう(漢字が出ません)の功績でした。 華城建築には、1794年から1796年まで2年を越える月日と37万人の労力が投入され、華城は老論を排除し実学を重視した正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されましたが、華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られました。 世界遺産の向こうに近代的なビルの大都会。 不思議な感じです。 城壁の外はビル郡、城壁の中は昔ながらの町並み(普通に人が生活していますが、立替を許されていないそうです) ということで、不思議な情景なのかもしれませんね。 続く・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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