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テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:ひとり言
中学2年の時に同じクラスになってから・・・ずっと仲良くしていた友達が居ます。
毎日、学校で会っても手紙の交換も毎日なあの頃が懐かしい。 高校は友達は普通科、私は商業科のある別々の高校へ行きました。 それでも仲良しでした。 休みの時期に入ると一緒に出掛けたり、バイトもしました。 夏休みにはいつも泊りがけの海に行きました。 私は高校を出て就職、友達は美容学校に進学しました。 それでも仲良しでした。 一緒に映画に行ったりジャズダンスを習ったり・・・と仕事帰りや余暇もよく会いました。 友達も美容室に就職して、、なかなか休みが合わなくて、私がカットモデルに なったりして、なんやかんや続いていました。 よく似ているらしく姉妹みたいだと言われた時期もあります。 身長は彼女の方が2センチ高く足のサイズは同じ。 手の形がそっくり~影に姿を映したらソックリ?! 顔は全然、似てはいないけど・・いつも似てると言われた。 私にとっては本当に信用の出来る心の友でした。 今ではお互い、結婚してしまい以前のようには会うことは少なくなりました。 最近は手紙がやっと。 私は大体年末に手紙を書きます。 そのお返事?だとは思うのですが・・・ 彼女から手紙が来ました。 その中には、彼女のお父さんが去年の6月に前立腺ガンで亡くなったと。 具合が悪いのは知っては居たけど・・その文を見た途端、涙が溢れました。 私はお父さんと面識があります。 中学の時の高校受験の会場模擬テストを受けるのに立川(現・昭和第一学園)まで行く時に 何度か、乗せて行ってもらったりしました。 当時・・・本当のお父さんて子供のタメに、皆こうなんだろうな~と思ったものです。 私自身は父親は存在していたけど、家族や子供を大事にする父ではありませんでした。 家庭内暴力・・・別居していましたが時々、押しかけて来て母に暴力を振るいました。 幼い時から、いつもこんな光景の中で私は育ちましたので、臆病で小心者、何かにいつも 怯えてて萎縮していました。 いつ殺されるだろう?と思ったものです。 保育園時代は喋らなくて、、、小学校へ入ってから普通にやって行けるか心配な子でした。 父がやって来る時は我が家はまるで防空壕です。母は洗濯機の中に隠れたこともあります。 私も家を飛び出して、父が帰って行ったのを見計らって家に戻ったこともあります。 近くの友達の家に、、深夜助けを求めたこともあります。 でも深夜なので出てこない。 こんな状況が私が結婚した後も続いていました。 私はいつも友達が頼りでした。 父の暴力が始まると、友達の顔が頭に浮かび、言葉をこらえて心で助けを求めて泣きました。 仏壇の前で先祖に助けを求めて拝んだり、あらゆる神様に祈りました。 こんな家庭環境で育ったので、どんな他人のお父さんも私には良い人でした。 ごく普通のお父さんだったら・・もっとノビノビと育っただろうと思います。 何の不安もなく勉強に打ち込んで遊んで、もっと子供として楽しめただろうと思います。 遠回りになりましたが・・・ 親友のお父さんが・・あの、優しいお父さんが亡くなったのかと思ったら 彼女への同情と共にさみしくなり、泣いてしまいました。 思春期で自分自身も家庭も難しい中で、友達が本当に支えだった。 私のワガママをいつも聞いて許してくれた親友。 手紙と一緒に、、娘への成人祝が入っていた。 余りにも意外なことで驚いたけど、気持ちがとっても嬉しかった!! 中学の制服を着ている姿を想い出すけど・・・もうあの頃には戻れない。 昔の親友も私も大人になった。 気心の知れた友達。 もう、貴方を越える友達は出来ないかもしれないけど・・・ それでいいんだと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.15 19:38:04
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