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カテゴリ:介護福祉
今週も引き継ぎなどもしましたが・・・まだ実感が湧かず。 5年間で約20人の利用者さんと知り合いました。 20人て少ない感じです。 ヘルパーになりたての時から、ずっと入っている方も多いからかもしれない。 既に亡くなられている人も数人居ます。 色んな人、色んな人生がありました。 ☆うつ病で、、、リストカットされてしまい施設へ行ってしまったMさん(70代女) いつも、静かに窓の外をずっと眺めて居た姿が忘れられません。 優しい人でしたが孤独な思いでいたのだと思います。 ☆元内科医のKさん(90代女) 90歳なのに、いつも大きな勉強机に向かっていました。 フランス語を学ぶ為に学校に通っていました~ いくつになっても勉強!!励まされましたよ。 ☆TIさん(80代女) 貧乏そうに見えて?(失礼!)お金持ちな人でした。いつもキレイとは言えない姿。 途中、いつも在宅していたご主人が亡くなりショックを受けました。 風邪から・・・朝起きたら亡くなっていたのでした。 1人になってTIさん、ますます物忘れが激しくなった。 その後、施設に入りました。 ☆Sさん(70代女) 母と同じ年で、糖尿病と呼吸器疾患で通院介助に行きました。 同病でしたのでよく糖尿病の話しをしました。 インスリンも今なら色んな話しが出来ただろう。 肝臓ガンになり、あっという間に亡くなってしまいました。 ☆SAさん(86歳男) 俳句、写真、パソコンをこなす元公務員。しっかりしていてお話しも多かった。 メールし合ったり、パソコンを教えてあげたりもしました。 介護の世界についても二人で討論?を楽しくしました。 海外旅行にも何度も行っていて語学も達者。 ☆Uさん(80代女) 低血糖を何度起こしたことか?無駄な入院を繰り返す。 糖尿病、パーキンソン病を患う。 食べないのにインスリン、経口薬を飲んでしまう。 通院介助に行くことが多く、一緒にお昼を食べましたね。 アイスコーヒーが好きな人でした。 いつもセンス良く、オシャレで見習いたい御婦人。 ☆忘れられない大変だったOさん(80代女) 認知症で・・・引きこもり状態、猜疑心強く、最期まで私を受け入れることはありませんでした。 暴言も多くこわい。排泄介助も難しい、それでも浣腸をしたりと勉強になることが多かった。 家族の協力のお陰です。 よく日記にも登場した利用者さんでした。 ☆HIさん(70代女) 認知症で物取られ妄想や家になかなか入れて頂けず。今日の花の画像はHIさんの家で撮って来たものです。母と同じ年で肌がキレイ。会社役員の娘さんが自慢。 三年間、同じコトを何百回と同じ話しを聞いてきたと思います。 認知症でも子供の育て方とか本当に為になる話も多かったです。 ☆Mさん(80代男) 弟さんと住んでいたのですが・・・途中、弟さんが風呂場で、くも膜化出血で倒れて亡くなる。それから1人暮らしになり、どんどんADL低下している。 私の母が亡くなった時、多くの人は”72歳なんて若いですね~もっと長生きしてほしかったですね”と言いましたが・・このMさんだけ”十分、生きたんだよ”と言ってくれて、母の人生を肯定してくれた唯一の人でした。どれだけ私は救われたか~感謝。 ☆MIさん(80代女) 交通事故で片腕欠損されている、糖尿病でインスリン療法をしている。自分で出来ることを 一生懸命にしようとするのには励まされます。 車イスで買い物へ行きました。 バナナと焼き芋が好物。 どうでもいいことだけど・・・ 記念に書いてしまった。 ほんとうにありがとう!! 私が落ちこんで居るときに、いつも励ましたり慰めてくれた。 一人一人の存在の大きさ。 利用者さんは私のヘルパーでした。 どうしてこんなに良い仕事を世間では大変だと言うのでしょう? 私にはやっぱり分からないのです。 私はやっぱり利用者さんに恵まれていたのでしょう。 1人1人の出会い。 ずっと忘れないで、辛い時には在宅での利用者さんの顔を思い出して 乗り越えて行こう! 私にとっては在宅は、もしかしたら実家みたいな存在になりそう。 本当に辛かったら、また戻りたい実家である在宅へ。 向かえてくれるだろうか?お父さん、お母さん!! いつまでも元気で待っていてほしい。 私のコト忘れないでよ、お願い。 そう安易な考えでは戻ってはイケナイけど 帰る場所があると思えるので安心して旅立てる。 それが自信に繋がるのかもしれない。 あと一週間、心を込めて利用者さんと共に過ごす時間を 大切に過ごそう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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