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テーマ:猫のいる生活(138411)
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きのうは非番だった息子と孫も同行してヨメの見舞いに行ってきました。
顔を見ると、前日とは見違えるばかりに表情も血色も良くなってます。 もう酸素チューブも点滴も取り外してて、同じフロアー内は歩いているらしい。 朝から少し水を抜いたとのこと。 本格的な水抜きではなく、前回の肺炎に関連する菌が残っているかどうか。 菌は見つからなかったらしい。 つまり今回の症状は肺炎と直接的な因果関係は無いと云うことです。 肺に水が貯まる原因はまだ特定できてません。 今、コロナがもの凄い勢いで広がってて、病院内は感染する確率が高いので、できるだけ早く退院するよう勧められたとか。 健康な人だったらキツイ風邪程度のコロナ症状であっても、ヨメにとっては致命傷になりますからね。 ヨメの回復状況との見合いになりますが、今度はまた入院を繰り返さないよう出来る範囲で入院を継続させたいのですが... 映画「氷の微笑」の警察での取調室で足を組みかえるエロティックなシーンばかりが有名になった女優シャロン・ストーン。 もっとも私には1990年にシュワルツェネッガーが主演したSF映画「トータル・リコール」のシュワルツェネッガーの妻を演じてたシャロン・ストーンの方が印象が強いですね。 トータル・リコールでは、妻を演じてただけで、実際は悪の組織のスゴ腕手下。 最後はシュワルツェネッガーに銃を向けられ「私たち夫婦なのよ」と命乞いをして騙し討ちしようとしましたが、それを見抜いていたシュワルツェネッガーに額を撃たれ死亡。 「これで離婚した」と吐き捨てられる役です。 1992年の映画「氷の微笑」は、シャロン・ストーンの出世作ですね。 この作品でシャロン・ストーンは、事故で亡くなった両親から受け継いだ膨大な遺産の資産家。 反面、ゴシップにも事欠かない女性で、ミステリー作家として活動。 そのシャロン・ストーンの恋人は次々と怪死していって、それがシャロン・ストーンの小説に書かれている殺人の場面と酷似。 そこから捜査関係者はシャロン・ストーンを取り調べるのですが、取調官に対して挑発的な態度を取るシャロン・ストーンは嘘発見器にも反応しないと云うストーリー。 しかし、この作品でシャロン・ストーン=セックスシンボルと云う観念が広まってしまったのです。 セックスシンボルは、性的魅力によって人気を得ることですから、演技力は関係ありません。 シャロン・ストーンは、「氷の微笑」の問題シーンを観たとき、悔しかったと述べてます。 撮影スタッフは下半身が映らないと云ってたのに裏切られた。 それを観た部屋はエージェントや弁護士ばかりで、映画とは関係ない人々がいっぱいでした。 シャロン・ストーンは、このシーンを観終わって映写ブースに行き、映画監督の顔を平手打ちし、立ち去りました。 そして自身の弁護士に電話したのです。 シャロン・ストーンは、撮影のとき下着を脱ぐよう云われても拒否すればいいぢゃないかと思われるでしょうが、今のようにセクハラやパワハラで訴えられる時代と違って、「氷の微笑」が撮影された1992年当時のアメリカではこんなことが当たり前にまかり通ってたのですね。 1980年にデビューしたと云っても、ハリウッドでは駆け出しのシャロン・ストーンにとって監督の言葉は絶対だったのです。 2017年にMeToo運動が起こり、女性に対する性加害や差別に声があがる前のハリウッドのできごとです。 「MeToo運動」とは、セクハラや性的暴行などの性犯罪被害の体験を告白、共有する際にSNSで使用されるハッシュタグです。 2017年にニューヨーク・タイムズの記者が、2015年から性的虐待疑惑のあった映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数十年に及ぶセクハラを告発する記事を発表。 後に女優のアシュレイ・ジャッドら数十名が実名でセクハラを告発し、雑誌「ザ・ニューヨーカー」も被害者への取材記事をウェブ版で発表するに至りました。 ハーヴェイ・ワインスタインは、これによって過去の性暴力および性的虐待とその隠蔽工作が発覚して逮捕。 有罪判決を受け、2024年現在も刑務所に収監されています。 シャロン・ストーンはセックスシンボルと云うレッテルが貼られたためか、多くの女性蔑視を経験してきました。 あるときプロデューサーのオフィスに呼び出され、共演者と寝るよう云われたと告白してます。 何をバカなと一笑に付しましたが、理由を尋ねると... そうすればスクリーン上で「良い化学反応」が起こるとシャロン・ストーンに云ったのです。 なぜその男性俳優のために、自分が体を使わなくてはいけないのか聞きました。 すると、件のプロデューサーは女性が行動を起こしたり権利を主張したりしたときに貼られがちなレッテル「難しい女」と考えるようになったと云います。 そんなプロデューサーが幾人も同じことをシャロン・ストーンに要求してきたのです。 シャロン・ストーンは、チャリティに熱心で、エイズ治療研究を支持したり、同性愛者に対する権利運動に参加しています。 2005年スイスで行われた世界経済フォーラムのダボス会議で、蚊帳がないためにマラリアで命を落としている15万人の子供の報告をうけて、自ら1万$の寄付するとともに、30人以上のビジネスリーダーから総額100万$の寄付金を集め、コンテナ12個分の蚊帳をタンザニアに送りました。 彼女は、米国エイズ研究財団のグローバルアンバサダーを務めてます。 2人の娘を交通事故とエイズで失った老夫婦の「孫がいなくて寂しい」の声を聞き、その夫婦と養孫縁組をして正式に自分の祖父母にしました。 実はシャロン・ストーン自身が大きな病気を抱えてました。 2001年に脳卒中で倒れて、脳出血が9日間も続いたのです。 これのリハビリに7年を要してます。 そしてリハビリを続けながらも数々の映画作品に出演してたのですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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