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お祖母ちゃんの死をきっかけに、ようやく真剣に自分のことについて考え始めたボク。
アルバイトに精を出し、少しずつイラストを描きためていく。 オカンは小料理屋を始めた。常連さんの相手をしながら一生懸命働いている。 ある日オカンはのどに異変を感じるが、気にとめることもなく働き続けた。 疲れを感じて病院に行ったオカンがついでに診てもらったのどのグリグリは、甲状腺のガンだった。 ガンは声帯まで及んでいたが、オカンは声帯を残す選択をした。 我慢しちゃう年齢なんですかね。 ウチの父もそうでした。 偏食で、うどんや蕎麦、刺身ばかり食べていた父は、お酒を止めた頃からちょっとずつ痩せ始めました。 お酒と一緒に食事をしていたので、お酒を止めたら食事の量も減っていったのです。 「お父さん年取ってきたからあんまり食べられないんだよ」と笑いながら言っていました。 以前から腰の痛みを訴え、病院で湿布薬をもらって貼っていました。 前屈みで歩くようになっていました。 それでも体調がすぐれず、精密検査を受けたところ、ガンが見つかりました。 既に肝臓や肺に転移し、末期の状態でした。 町の病院では手に負えず、院長先生が国立病院へ紹介状を書いてくれました。 母と夫と私の三人で国立病院を訪れた時、父の病院から借りたレントゲンフィルムを見ながら、担当の先生が言った言葉は今でも忘れることができません。 「ああ~これはもうダメだね。生きてるのが不思議なくらいですよ」 それでも母が「あとどのくらい生きられるか」と聞いたら、は~っとため息をついて、 「何ヶ月とか言う段階じゃないですよ。このままでは明日死んでもおかしくないです」 この言葉を聞いて、何があってもこの病院には入院させない、と決めました。 「医は仁術なり」などという言葉はとうの昔に廃れていた、ということに遅まきながら気がつきました。 肉親の大事に動揺している人間に、更に冷や水をぶっかけるようなドクター・ハラスメント。 医者にとっては毎日診ている大勢の患者のひとりなのでしょう。 いちいち感情移入してられないのでしょう。 でも私にとってはたったひとりの父であり、大事な家族でした。 こんなところには一秒だっていたくない、入院するかどうか聞いてくる先生を適当に受け流して私たちは帰りました。 父はしばらく自宅で療養していましたが、親戚が探してきた埼玉の病院に転院しました。 下の子どもを妊娠していた私は、あまり会いにいけませんでした。 結局、死に目にも間に合いませんでした。 父は幸せだったのだろうか、と今でもふと考えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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