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カテゴリ:歌舞伎
大名跡の襲名がここ何年も続いている歌舞伎界でも、特に注目されたのは十八代目中村勘三郎さんの襲名披露でしょうね。
伝統を大切しながら常に新しいものに挑戦し、ファンをひきつけています。 二年間にわたる披露興行は全国各地で大盛況でしたが、その裏には、たくさんの試練があったのですね。 勘太郎くんの怪我については知ってはいましたが、まさか役者生命が危ぶまれるほどだったとは思いませんでした。 歌舞伎役者はひざを酷使するので、彼の怪我もスポーツ選手でもめったにないような状態の怪我だったようです。 懸命のリハビリや踊れないつらさは、大変なものだったでしょうね。 今年の浅草で拝見した限りでは元気なようでしたが、役者人生は長いので大事にしながら踊ってほしいです~ そして、長年にわたって中村屋を支え続けた門弟、中村源左衛門さんの病と死。 中村助五郎というお名前でずっと出ていらっしゃいましたが、勘三郎さんの襲名とともに源左衛門となり、襲名披露興行を陰で支えていました。 勘三郎さんにとっては、生まれたときからずっと傍にいた家族同然の源左衛門さんでしたが、末期がんに侵されていることがわかりました。 余命三ヶ月。 でも源左衛門さんは舞台を選びました。 怪我で出られない勘太郎くんに励ましの手紙を送りつづけました。 命の灯火の消える最期の瞬間まで、中村屋のことを案じていたでしょう。 源左衛門さんが亡くなったとき、勘太郎くんと七之助くんが死装束を着せてあげていました。 小さい時にお祖父さまを亡くした勘太郎くんと七之助くんにとっても、源左衛門さんは本当のお祖父さんのような存在だったのかもしれません。 襲名の最後を飾る京都南座、勘三郎さんは懐に源左衛門さんの写真を忍ばせて臨みました。 ともに出ようと約束した舞台に。 中村屋はみんな家族。そんな言葉がぴったりな、勘三郎さんの人柄が感じられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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