カテゴリ:オーストラリア旅日記
こんにちは、ビジネスホテルトキワのしげです オーストラリア旅日記57 無事、ノーザンテリトリーの州都 ダーウィンに到着 ! ここダーウィンは ジョン・クレメンス・ウィッカムに 「ポート・ダーウィン」と 名付けられ、 それはあの有名なチャールズダーウィンと 共にビーグル号に乗って探検航海で同船仲間で あったとされています。 ん~州都と言っても、こじんまりとしている。 だから、フードコートにいると、いろんな人に出会えました。 何度か紹介したオーストラリアンサファリの女性ライダー スチュワートハイウェイをアデレードからダーウィンまで リヤカーで走破した日本人 おかげで、後に河野兵市さんや永瀬忠志さんの本を読む または、ケアンズからケープヨークを抜けて、 サーズデイアイランドまで行き、 ダーウィン方面へと抜けてきた 武者修行のモトクロスライダー でも、でも、一番衝撃的だったのが、 町を歩いている時、オーストラリアのおじいさんに 道端で急に胸倉をつかまれ 「ジャップ!ジャップ!」 と怒鳴られ、最後には涙声に訴えられた事です。 最初、自分もパニクリましたが、 途中から戦争の事を言っているのがわかりました。 相手がおじいさんで、掴んでいる腕に 力がなかった事と、最初訳がわからなかった事で、 なされるがままでしたが、 それが、通りかかったオーストラリア人が おじいさんをなだめて、その場が過ぎました。 この後、数カ国アジアの国を旅しますが、 いろんな場所で、いろんな人に戦争の事で 意見を言われました。 たぶん、こんな事があったおかげで、 戦争について、2次大戦について、 日清・日露戦争について、 ノモンハンについて、 考えたんだと思います。 日本では絶対見た事がない 書籍も海外の本屋さんは おいてあります。 オーストラリアでも辞書を片手に 本を読んだり、和訳してある物も、大きい町にはありました。 そして、いろんな国の人と議論して、 自分が無知である事を知りました。 ただ、決して、無関心だったわけではないのです。 当時、茨城には霞ケ浦航空隊があり、 戦争の激戦区のひとつでした。 だから、うちの母の実家にはピストルの後が今でも生々しく残っています。 そして、自分もおじいちゃんに戦争の事を知りたくて、何度か聞きました。 すると、おじいちゃんは、只々涙を流して、 言葉にならないのです。 その度に、余ほど辛い思いが伝わり、 それ以上は聞けませんでした。 しげにとって、とっても優しいおじいちゃんでした。 良くも悪くも、 ダーウィンと言う町は しげにとって、戦争を考えさせられる町でした。 最後にオチが・・・ 絡まれた時、いとこTも一緒でしたが、 いとこT曰く、「しげくんは、絡まれ易いんじゃないの!」 だって~ ビジネスマンや家族旅行にも有意義情報を! メルマガ登録はこちらから お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月05日 02時04分07秒
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