【経済的格差より 自己評価格差のほうが ずっと問題だと思います。】
遅ればせながら
坂東眞理子著 『女性の品格』を読んでいます。
女性の…という題名でありながら、
(著者も前書きでふれていますが)女性の品格についてのはずが、
【人間の品格】とは何か、品格ある生き方とは何か
…について考えざるをえない本になってるようです。
一気に読み進めているところですが、
なんだか・・・心が洗われるというか、背筋がピンって感じなんですよね。
で、
第三章 品格ある装い の中に 冒頭の記述がありました。
「秘すれば花、秘せざれば花なるべからず」
全部を見せてしまうのではなく、少し隠した方が興味や好奇心はひきつけられる・・・
との話だったのですが、ほかにも、
・公的な場で自分のことを洗いざらい告白するのはやめましょう。
・自分の失敗や苦労も、特に言ってまわることはありません。
(自分のなかで消化できて、それなりに客観的に見えるようになって、
ユーモア交じりのエピソードとして言えるならいいのですが・・・
まだ怒り、悔しさ、情けなさ、恨みなどが残っている状態で告白するのはやめましょう・・・)と。
不完全で、欠点の多い自分をありのままに告白して、
あるがままに認めてもらおうというのは、とても不遜極まりない態度です。
と、著者はきっぱり。
なるほど・・・。
これは、「どうせ私なんて・・」って言ってるネガティブ思考とも似てるかもしれませんね。
しかしながら、
ワタシはこんなダメアナウンサーでした・・
なんて、このブログでよく言ってきちゃった私・・・やばい?!
でも、それを乗り越えて今がある・・・わけで、セーフじゃん?!
って密かに思ってるんですけどねぇ。
さてさて、著者の意見は、まだまだ続きます。
できるだけ
そうした自分を見せないで少しでもいいところを魅せるように努力すること
が、人間の品性を高めるのだと。
だれでも、一皮むくと弱い部分、情けない部分、どろどろした部分がある。
そうした弱点があるのが人間だから、当然だと居直るのではなく、
いかにして、表に出さないように努力するかが重要なのだ・・と。
逆に、努力はしんどい、めんどうくさい、私にはできない
と認めてしまうと、品格のない人間になってしまう・・・・とも言っています。
日本の若者たちが、最近行儀が悪い、マナーが悪いと批判されるのは、
多くの若者がそうした
「少しでもよくなりたい」という夢を捨て、「私(僕)はこれでいいんだ」
と人生を降りてしまっているから・・・だと。
そこで、自己評価格差について問題提起しているというわけです。
今に満足して、頑張ることをしない。
努力することをカッコ悪いと思ってしまうのでしょうか。
努力する人を 小馬鹿にする・・・って風潮、なくもありません。
でも、頑張っている人は輝いてます。
そして、確かに、
頑張って輝いている人・・・は、努力している素振りをあまり見せません。
ワタシは、こんなに努力した!
わたしは、こんなにがんばった!
と自慢している人・・・はあまり評価されないかもしれませんね。
だれだって悔しさはある。
だれだって最初はうまくいくはずもなく、失敗もしている。
でも、それをいかにバネにして向上していくか。
どう、成功に結びつかせるか!
その努力をいかに人に見せないで どう輝くか・・・。
品格ある生き方・・・って こういうことの積み重ねなんですよね。
もっとよくなりたい。もっと上にいきたい!
自分の今の力を知ることで、常に上をめざすことができる。
全然カッコ悪いことじゃありません。
自己評価格差・・・ついてません?