テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:こだわりとかいろいろ
泣きながら
ただひたすら泣きながら 何枚もの書類にひたすら署名をする夢を見ました 書かなくていい書類にまでひたすら泣き続けながら 名前を書き続けるのです 母親に泣きながら責め立てられながら 私の母は現在 リュウマチと筋無力症です リュウマチは最近ようやく3級の障害者として認められ補助が受けられるようになったみたいです 発症したのは多分私が小学校の高学年になった辺りで 母親が40歳になる手前ぐらいではないかと思います はっきりと聞いたわけではないのですが その頃からやたらと私と弟に「自立」を促すようになりました 掃除 洗濯 料理 はもう自分の事は自分でしなさいと 言葉の端々から私は 母親はそんなに長くは生きられないのだな…と察していました 私が中学二年から三年に上がる春休みに 母親はとうとう入院をしました 後から父親に聞いた話ですが もう戻っては来ないかもしれないと思ったそうです 小学校の頃は 私はまだ母親を嫌いではなかったんです かといって べったりでもありませんでした 母親が はね除けると言うか 私を突き放すのです 嫌われないように 母親に迷惑をかけないように いつも顔色を伺い いいこであり ほめられようと必死でしたが でも何をしても誉めてはくれませんでした 賞を取ろうがなにしようが けなされてばかり 病気や怪我をすれば自己管理がたりないだとか 自分の不注意だから自業自得だとののしられ 心配された記憶もありません それなのに わがまま三昧 やりたい放題の弟ばかりをかわいがる かなしくてかなしくて それでも必死に顔色を伺い できる限りのお手伝いをしていました 母親に喜んでもらいたい一心で 母親の笑顔を見たかったんです 母はあまり笑わない人なのです 思い浮かぶのは 怒った顔と泣き顔ばかり… 夢に出てくる時も怒られる夢ばかりです 全部あなたのせい!!と攻め立てられ あなたの為にどれだけつぎ込んだか!! 感謝の心がない!! 何を考えてるのかさっぱりわからない変わり者 等々 産まなきゃ良かったまで言われた日には その場で私は腕を切りました ずっとずっと私は産まれてきてごめんなさいと 心の中で思いながら生きてきました 母親が私が生まれ 今でも生きている事がうとましく感じていることを 幼心にかんじていました 乳幼児の時に私は一度死にかけた事があったから あの時に死んでいれば良かったのに…と 思っているのだろうな… と うすうす感ずいてはいたんです 風邪をひこうが病気をしようが 怪我をしようが かなりひどくなるまでは なかなか病院にも連れていってはくれませんでした 私は小学校ですでに不眠症になり 中学ではウツと登校拒否 と自律神経失調症 高校では躁鬱になり 精神不安定で 常になにか忙しく動き回っていなければ 気が狂いそうになっていました 母親はそんな私を知りません 高校に入るときに母親の顔色をうかがうのを やめました 母親はもうすぐいなくなる 私は私の人生を 自分で責任を持って生きていかなければならない あの時 母親がこう言ったからと責め立てたところで 責任をとってくれるわけでもなければ 過ぎた時間を返してくれるわけでもない 私は私の為に 生きると決めたら ますます私への風当たりが強くなりました ちっとも言うことを聞かなくなった私を ますます攻撃するようになりました それでも私はかまわないと思っています 私の人生を私が決めて何が悪い? 私は母親の分身でもなければお人形でも お手伝いさんでもない もう何年か会話はしなくなりました でも時々夢に出てきては 責め立てられ 私はただ泣き続け ひたすら言われるがまま 言うことを聞くのです 泣けばいいと思って!!と怒られながら… 医療の発達とはすごいですね 母親は現在66ですが まだ生きてます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.02 11:25:10
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