カテゴリ:こだわりとかいろいろ
私が通っていた高校には 校則と言うものがなく
生徒の自主性に任せる と言う学校でした ただし マフラーは自転車通学でどっかに引っ掛かって首が絞まるかもしれないから 禁止 ブーツと革ジャンは 昔の 不良のイメージがあるので禁止 あと高下駄 一本下駄は危ないので禁止でした そんな学生時代を過ごしてきたので この間 高校の先輩と話していた時に 「一般社会に戻れない」と言う意見が一致 私だけじゃなかったんだ~って安心しました ごくまれに 一般社会に戻れる人もいるけど… 本当にすごくまれ すごくおおらかな学校だったので 街でたまに細かい事で文句言ったり 怒ってる人を見ると なんでそんなちっぽけな事で怒ってるのか さっぱりわからないって思うと その先輩も言ってました ケースバイケースだろうし 絶対こうじゃなきゃいけないとか その時々のそれぞれの事情がある場合だってあるのに 型通りで無いことにイチイチ腹を立ててる人を見ると 不思議で仕方ない って話で盛り上がり 漢字一文字ちょっと違っただけで 目くじらたてるお役所とか… 読み方でニュアンス伝わるんだから 「あ~漢字間違えたんだな~」で良いじゃん とか さ 誰だって間違えることはあるよね~ 完璧な人間なんていないんだから 考え方だって捉え方だってみんな違って当たり前なのに… ってホント思う その先輩は特に大学がロシア(当時まだソ連の社会主義国でクーデターの真っ只中)だったので 私よりはるかにアバウトと言うか おおらかと言うか 適当 考えてみたら 学生の頃も 画材の道具とか みんな置きっぱなしだったりしてあって 自分のがなくなってたら 置いてあるのをちょっと借りたりとか 結構そう言う何て言うか アトリエにあるもので名前が書いてなければみんなの物 誰のかわからなくても 使ってなかったら借りて返せばいい とか あんまり自己所有的な考えもなく みんなおんなじ道具使ってるんだけど 特に誰も名前も書かないし 書いたところですぐ消えるし なくなってもその辺の借りればいいや~って感じで なんと言うか アメリカインデアン的と言うか あんまり物に執着しない所は みんながそうだった 勤めてた会社も自分の物じゃなくて会社の物だからと 勝手に隣の人の引き出しを開けて持ってく人も珍しくはなかった まぁそれもそうだなと思ったり そう言う考えの人もいるって理解できた この日本の堅苦しい世の中が生きづらいんだよねぇ~ なんて話をしていた 個性派揃いの環境でずっと来たから 何が普通で何が当たり前なのか未だにかわかんない ただ言えるのは 私たちは一般的な日本人ではないと言うこと かな~ でもそれが嫌だとは思わない 仲間の数は少ないけど 幅広い物の考え方や受け止めかたができる人間で 良かったと思う けど 狭くて窮屈な生き方をしている人達とは馴染めないし その窮屈な型に押し込まれたくはないとは思う お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.05.23 14:14:23
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