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テーマ:猫のいる生活(139089)
カテゴリ:今日の本
昨日、本屋で読みながら、 何度も涙が込み上げてきて、 これはいけないやと思って、買って帰りました。 スペンサーという小さな町の図書館の、 返却ボックスに捨てられていた 雄ねこの物語。 生まれて間もない子ねこが投げ入れられて、 足が全部しもやけになって、 寒くてやせていて、ブルブル震えていたけれど、 館長の著者が抱き上げると、 じっと目を見つめて、信頼しきって、 喜びをあらわした彼に、まずとても感動しました。 そんな目にあっていながら、 助け出された瞬間から、 その場に居合わせた全員の図書館のスタッフに、 一人ずつ感謝をあらわし、 ここが自分の居場所と決めて、 来る利用者のひざに乗ったり、 元気のない人のところに行って、 勇気付けたり、癒したりして、 おしみなく愛を誰にでも示し、 町中の人から愛されました。 生きる希望も見失いがちな町の、 ひとりひとりに、できるだけ笑顔にさせて、 みんなを勇気付けていくその姿は、 愛そのものの存在に思えました。 町中の人が、 自分たちは、デューイみたいに、 アメリカから見捨てられたゴミみたいに 捨てられた存在のように感じていましたが、 デューイは、助け出された瞬間から、 自分を捨てた残酷な人間のことを恨まず、 まわり中に感謝し続け、 今いる居場所を愛して、 自分には価値があると信じ、 謙虚で、信頼し続け、 人々を愛し続ける姿に、 涙を流さずにはいられませんでした。 随分と若い頃から傷ついてきたけれど、 デューイのおかげで、支えられてきたそうです。 よい方向に変えていったことに、 心から深く感動しました。 目に涙をためてぼんやりとひざをみつめていると、 デューイがひざにのってきた。 彼は躊躇せず、お返しも期待せず、 質問もせずに与えてくれた。 それはただの愛ではなかった。 それ以上のもの。 尊敬だった。共感だった。 しかも、それは双方向のものだった」 究極のパートナーといえるのではないだろうか? あなたにはそういう存在がいるだろうか? そういう人間のパートナーをみつけているなら、 その僥倖(ぎょうこう)に感謝するべきだろう。 しかし、相手が一匹の猫でも、 ときにはこれほど深い絆を築くことができ、 パートナーとしてお互いに愛情と尊敬を与え合い、 支え合う関係が成立するのだ。 自分の持っているものに満足して幸せを感じなさい。 すべての人によくしてあげなさい。 いい人生を送りなさい。 物質的にではなく、愛のある人生という意味で。 ただし愛は決して予想することができない。 「指を切ったよ」わたしは血をみせた。 体じゅうにあざができていたが、 それ以外には、その小さな切り傷だけだった。 わたしたちは誰もがときどき トラクターの刃を通過している。 誰もがあざをこしらえ、切り傷もできる。 ときには刃が深く食い込むこともある。 幸運な人は、 かすり傷とわずかな出血で終わるだろう。 だが、それですら重要なことではない。 いちばん大切なのは、 あなたを抱き上げ、きつく抱きしめ、 大丈夫だといってくれる人がいることなのだ。 デューイのためにしてきたと思っていた。 それが語るべき話だと思っていた。 だから、語ってきた。 デューイが傷つき、寒さに震え、鳴いていたとき、 わたしはそこにいた。 わたしはデューイを抱きしめた。 万事大丈夫なように、気を配った。 本当の真実は、あの長い歳月、 つらい日も、楽しい日も、 人生という本物の本のページにおける 記憶にすら残らない日も、 デューイはわたしを抱きしめてくれたのだ。 わたしを抱きしめている。 だから、ありがとう、デューイ。 ありがとう、感謝している。 あなたがどこにいようとも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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