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テーマ:洋楽(3394)
カテゴリ:音楽雑談
南部フロリダ州の自宅での死去。享年79歳。 昨年5月に脳卒中で倒れるまで、ライヴ活動を続けていたという。 ----昨日、夜遅く帰ってきた途端、こんなニュースが飛び込んできて、びっくりした。 ひゃ~、まだ生きてたんだ……もとい、またひとり巨人が逝った事に感慨を覚える。 普段から、音楽そのものを熱心に聴いてるわけではないし、"ロックのお勉強"という形でこの人にたどり着いた自分だが、その偉大さは充分に理解できるつもりだからだ。 1928年、ミシシッピ州生まれのボは、シカゴに移ってからギターを習い、十代でストリート・ミュージシャンとして活動。 55年にデビュー・シングル「Bo Diddley/I'm A Man」が大ヒットし、一躍スターの座を獲得する。 ワン・コードでゴリ押ししていく楽曲スタイル、乾いた音でガサツにかき鳴らしていくギター奏法は、シンプルにしてパンキッシュだ。 ドスの効いた歌声もファンキーで迫力に満ちている。 そして、彼の生み出したボ・ディドリー・ビート(ジャングル・ビートとも言われる)は、後のロック系リズムにおける、ひとつの雛形となった。 この人と同期でもあるバディ・ホリーは、ボ・ディドリー・ビートを下地にした名曲「Not Fade Away」を歌った。 ローリング・ストーンズは'64年のデビュー・アルバムで、その「Not Fade Away」と、ディドリーの曲である「Mona」のカバー・バージョンを収録している(英盤と米盤でそれぞれ内容が違うが)。 ちなみに、僕が行ったストーンズ来日公演('95年)のオープニング曲は、なんとその「Not Fade Away」だった。 場所は東京ドーム。 場内が薄暗くなり、歓声が飛びかう中、あまり良くない音でズンドコしたビートが響いてきたことを思い出す。 また、ボ自身もロン・ウッドを引き連れて来日したこともあるのだが、それはストーンズが初来日を果たす以前にして、もう20年も前になる1988年の事だ(同時期にはミック・ジャガーもソロで来日している)。 他に、ディドリー・ビートを取り入れた曲としては、The Whoの「Magic Bus」、ブルース・スプリングスティーンの「She's The One」、U2の「Desire」、ジョージ・マイケルの「Faith」、Primal Screamの「Movin' on up」などが有名だろう(←古い曲ばっか…)。 邦楽では、大瀧詠一「1969年のドラッグ・レース」や山下達郎の「アトムの子」などにディドリー・ビートが取り入れられている。 ロックやポップスのみならず、ヒップホップ系への影響も見逃せないだろう。 ブチメガネと長方形ギターが印象的なこの人は、チャック・ベリーやリトル・リチャードほどの知名度はないかもしれないが、ロック創世記における重要人物であることに違いはない。 ドタバタするディドリー・ビートは、人間の原始的な高揚感を呼び覚ますリズムだ。 多くの人にカバーされた「I'm A Man」は、ロック・ファンなら何らかの形で聴いたことがあるだろう。 長い間お疲れさまでした。 先に逝ってしまったどんと(ボ・ガンボス)と一緒に、楽しくセッションをやってください。 つーコトで、ディドリー三連発! 「Bo Diddley」はこちら(MCはジェームス・ブラウン!)。 「I'm A Man」はこちら。 「Who Do You Love」はこちら。 R.I.P Bo… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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