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テーマ:洋楽(3396)
カテゴリ:80年代洋楽
ガキの頃、ダビングしたテープを聴きまくった、思い出の一枚だ。 そういえばこのデュオを覚えてる人って、今、どのくらいいるのだろう? いい買い物をしたとニヤける一方で、そんな思いが頭をよぎった。 ミリ・ヴァニリは、ロブ・ピラトゥスとファブリス・モーヴァンから成るデュオとして、1988年に西ドイツからデビュー。 ヨーロッパでの成功を経てアメリカに上陸した彼らは、「Girl You Know It's True」が同年ビルボード2位まで上がるヒットとなり、いきなり注目を集める存在となる。 似たような風貌(しかもカッコいい)の男ふたりというヴィジュアルも、皆の興味を引いたのだろう。 当初、その曲にさほど興味を持てなかった僕は、レンタル屋に飾ってあるジャケを見て「ふ~ん、で、どっちがどっち?」などと思うだけで、CDはスルーしていた。 だが翌'89年になり、(自分の中での)事態は変わる。 アルバムから続いてシングル・カットされた「Baby Don't Forget My Number」は、全米1位になった。 さらに後続のシングル「Girl I'm Gonna Miss You」までもが1位を記録する。 そして、アルバムもいつの間にやらチャートの1位を記録。 「え、なになに?」 目を丸くする僕を置いてきぼりにするかのごとく、このデュオは急激な勢いでトップへと昇りつめていった。 当時の自分は、TOP40がすべてだったミーハー少年。 あっという間に昇りつめた彼らを見て驚くと共に、こうしちゃおれんと、あわててCDをレンタルしに行った(当時の財力ではアルバムなんて買えなかった)。 聴いたアルバムは予想をはるかに超える出来だった。 前述のシングルはもちろんのこと、どの曲もシングルにできる程のキャッチーさを持ち合わせており、すぐに全曲歌えるようになってしまった。 何よりもラップとメロディを絶妙にブレンドした作りが当時は新鮮に思えた。 その後も、アメリカ盤アルバムのみに収録だった「Blame It on the Rain」もシングル・カットされて、これも1位を記録。さらにはタイトル・ナンバー「All Or Nothing」もカットされ、これも4位まで上がるヒットとなる。 破竹の勢いとはまさにこの事だった。 アルバムは最終的に600万枚を売り上げ、5つのTOP5ヒットを生む、輝かしいデビュー作となった。 翌年のグラミーでは新人賞を受賞。二人はその場で喜びのパフォーマンスも披露した。 だが、彼らの晴れ舞台はそこまでだった。 ケチのつき始めは、お約束(?)ともいえる盗作疑惑だった。 シングル・ヒットした「All Or Nothing」が、ブラッド・スェット&ティアーズのヒット曲「Spinning Wheel」にそっくりだというのだ。 なるほど、両曲のサビの部分は確かによく似ている。これは著作権にうるさいアメリカでは問題になるだろう。 結果、「All Or Nothing」のクレジットには「Spinning Wheel」の作者達の名前も加えられることとなった。 まあ、ロブとファブの二人は作曲をしていないので、これ自体は彼らに非はないと言えばそれまでだ。 問題はその後だった。 ミリ・ヴァニリの曲を歌っているのは、ロブとファブの二人ではなかった。 CDで歌っているのはゴースト・シンガーで、彼らは口パクをしているだけだったのだ。 噂は以前からあったらしい。 そもそもミリ・ヴァニリとは、プロデューサーによって考案された一種のプロジェクトで、ヴィジュアル担当と音楽担当は元から分けて考えられていた。 だが、その事を公にする前にグループはブレイクしてしまった。 この事を暴露したのは、プロデューサーにして仕掛け人であるフランク・フェーリアン(※)だった。 成功ゆえの亀裂、このような形式をめぐる内紛の末の告発だった。 この事は、一般のニュースでも話題になり、当時、世界的に報道された。 それを知った僕は「ふ~ん、そうなんだ」くらいにしか思わなかったが、世間はそんなに甘くなかった。 グラミー賞は当然剥奪。 テレビでは、ミリ・ヴァニリのCDを叩き割る人々の姿が映し出され、アルバムはレコード会社のカタログから消されてしまう(つまり廃盤)。 記者会見で、「これからは自分のノドで歌う」と豪語したロブとファブはその場で歌を披露するものの、かえって失笑を買う始末だった。 彼らは、そのまま事実上の追放となってしまった。 絵に描いたような転落。まさに天国と地獄。 時は1990年。誰もがバブルに浮かれている真っ最中の出来事である。 ミリ・ヴァニリは、典型的な音楽界のあだ花として人々の記憶に残ることとなった。 ちなみに、このような事例はミリ・ヴァニリが初めてではない。 フィル・スペクターのプロデュースで知られる「He's A Rebel」('62年、全米1位)は、クリスタルズというガールズ・グループの曲として売り出されたが、実際に歌っているのはメンバーでもなんでもないダーレン・ラヴという女性シンガーだった。 モンキーズはデビュー当初、楽器も自分達で演奏しているという事になっていたが、1st、2ndアルバムでバックを演奏しているのはスタジオ・ミュージシャンで、これがバレた時にはちょっとした騒ぎにもなったという。 また、ミリ・ヴァニリと同時期にヒットを飛ばしたバブル時代のあだ花、C+Cミュージック・ファクトリー(これね)も、シンガーはゴーストでした。 ほかにはブラック・ボックスなんてのもいたなあ。。。(遠い目) 人に"夢を与える"この業界、ヤラセやインチキなんてのは多かれ少なかれつきものだし、大人のやる事などいつだってデタラメだ。 当時ガキだった僕も、その事はなんとなく分かっていたし、ミリ・ヴァニリの"ルックス"に惹かれたわけでなかった事もあってか、音楽そのものまで色褪せて感じられることはなかった。 よーするに、音楽さえよければ何だっていいのだ。音楽とは"音"を楽しむものなのさ(´ー`) セッソーのない自分は、その後もしばらく『All Or Nothing』を聴き続けた。 今聴くと、音の軽さにはさすがに苦笑するものの、しっかりと作りこまれた捨て曲なしのポップ・アルバムだと思う。 哀しげで美しいメロディが光る「Girl I'm Gonna Miss You」は、今でも大好きな一曲だ。 最後に、その後の彼らに触れておく。 実際に歌っていたシンガー達は騒動の後、タダでは起きんとばかりに"リアル・ミリ・ヴァニリ"として再デビューする。日本では少し話題になっただけだったが、ヨーロッパではそこそこ売れたらしい。 一方、ロブとファブは、今度は口パク事件をネタにマスコミの玩具にされ、こんなCMまで作られる始末。 それでも「俺たちはただ歌える機会が欲しかったんだ」という信念のもとヴォーカル・トレーニングに励み、'93年には"Rob&Fab"として改めてデビューする。 が、曲は悪くなかったものの、一度ついてしまったマイナス・イメージゆえか、売れることはなかった。 そして、ロブは'98年にオーバードースで死去。32歳という若さだった。 彼らの栄光と転落は、ミュージック・ビジネスの影の部分そのものであり、僕に"ポップスターの夢と真実"を教えてくれた、華やかで哀しい物語だった。 当時、アルバムを借りてダビングしたテープは今も大事にとってある。 だいぶ音の劣化したテープの代わりに、今日は200円で買ったCDを流そうか。 つーコトで「Girl I'm Gonna Miss You」のPVはここをクリック。 イントロからして、泣かせてくれるねえ。 なお、ミリ・ヴァニリの話は、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の脚本を手掛けたジェフ・ナサンソンを監督として、映画化も予定されているとのこと。 また、全盛期の彼らの曲は、現在発売されているベスト盤で大半が聴けます。 ※ ボニーMのプロデューサーでもあった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.08 11:57:47
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