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テーマ:洋楽(3396)
カテゴリ:60年代洋楽
1969年11月1日に全米1位を記録。 エルヴィスにとって18曲目の、そして(事実上の)最後のナンバー1シングルである。 この曲の作者は、名曲「Always On My Mind」(※)でも知られるソングライター、マーク・ジェイムス。 '68年に、まずマーク本人によるバージョンがリリースされているが、ヒットには至らなかった。 プロデューサーのチップス・モーマンからこの曲を聴かされたエルヴィスは「イケる」と思い、自らによるレコーディングを決めたのだった。 なお、マーク本人によるバージョンも、プロデュースはチップス・モーマンが手掛けている。 レコーディングは、マークのオリジナル・バージョンをなぞる形で行われた。 カントリー・テイストを持ったイントロが清々しい。 ドラマティックで美しいメロディも胸を打つ。 ストリングスや力強いコーラスを擁した演奏にのせて、エルヴィスは高らかに歌い上げる。 「互いを疑ったまま、一緒に生きていく事なんてできない」と。 「Jailhouse Rock」や「Hound Dog」のようなスリリングさはないものの、ここで聴けるコクのある歌唱は情感と貫禄にあふれた、素晴らしいものだ。 50年代エルヴィスのギラギラしたカッコよさが若さゆえのものなら、ここでのエルヴィスは"大人の魅力"だろうか。 人間の持つ輝きは若さだけではないのだ。 ビートルズがアメリカに上陸した'64年以後も、エルヴィスはそれなりのヒットは出していたものの、それ以前までの活躍ぶりに比べると"過去の人"という感が否めなかった。 '64年から'68年の間に彼が出したトップ10ヒットは、「Crying In The Chapel」のみである(全米3位)。 だが、'68年12月に放送されたTV番組「Elvis Presley's '68 Comeback Special」は好評をもって迎えられる。 そして、60年代の終わりに発表されたこの曲は、"キング復活"を告げる一曲となった。 「Suspicious Minds」がリリースされる一ヶ月前('69年7月26日)には、ラスヴェガスのホテル・ヒルトンで8年ぶりのコンサートが行われている。 エルヴィスは拍手喝采で迎えられ、その時初めてこの曲を披露した。 『エルヴィスはステージ中央にぶらぶら歩いていき、マイクをつかむと50年代と同じポーズをとった。両足をつっぱって、軽くひざを曲げるポーズだ。二千人の観客は、みな立ち上がって口笛を吹き、手拍子を打った。椅子の上に立って叫ぶ者もいた』------ジェリー・ホプキンズ 「Suspicious Minds」を生んだ"メンフィス・セッション"は、実り多きレコーディングとしてファンには知られている。 このセッションからは他にも「In The Ghetto」、「Don't Cry Daddy」、「Kentucky Rain」、「Any Day Now」などの名曲、名唱が生まれた。 現在発売されているCD『From Elvis In Memphis』(上ジャケット)では、それらの曲をまとめて聴くことができる。 後期エルヴィスならではの、深みのあるボーカル・アルバムとしておすすめしたい一枚だ。 70年代に入ってからのエルヴィスは、再び精力的なライヴ活動を始め、死去するまでの七年間に1000回ものコンサートを行った。 1973年1月14日、ハワイ州ホノルルでの公演は、世界15ヶ国に衛星生中継もされた。 エルヴィス・プレスリーは、'77年8月16日に死去(享年42歳)。 ギネス・ブックに「最も成功したソロ・アーティスト」として認定された。 エルヴィス自身は「もし僕が死んだらファン達は僕の事などすぐに忘れるだろうね」と語っていたが、彼の名は、ファンはもちろん、ブロードウェイから東スポの中にまで生き続けている。 2002年には、「A Little Less Conversation」のリミックス・バージョン(FIFAワールドカップのテーマ曲)がリリースされ、世界20ヶ国でナンバー1に輝いた。 彼が約20年間を過ごしたメンフィスの邸宅「グレイスランド」は、アメリカの国定史跡として今もテネシー州に残っている。 「Suspiciuous Minds」を聴くにはここをクリック! ※エルヴィスのほか、ウィリー・ネルソンやペットショップ・ボーイズによるバージョンで有名。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.07 07:12:13
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