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2022年6月18日 少年合唱団フェスティバルの日
窓の外を見ると昨日の様なきらきら光った青空が広がっています。 下瞼の裏の充血と膿の膜には"変化無しで痛み無し"なので気にしないこと。 市場でウクライナの少年の黄色い声を聞いたせいか、昨夜は私がプーチンを暗殺しようとして失敗に終わり、プーはあの表情の無い冷たい顔で私をイチゴジャムにしろと、部下に命令を下したのだわ。 ついでに友人はオレンジジャムにされる事になって、その変な夢で朝から二人で大笑い・・・・・笑ってられないんだけど。 エスコラニアの団員からは、朝になっても友人の質問に全く反応が返って来ていないようです。 そもそも友人は彼にちゃんとメッセージを送ってくれたのかな。 明日はニュルンベルクから13時15分に出るベルリン行のバスに乗らなくてはなりません。 私はその前に日曜日のミサのエスコラニアのビロライが聞きたいのですよ~。 コンサートは11時から始まると言うものの、友人の身支度の時間を考えて、朝食は9時に取ります。 私は沢山食べられないので、これ、もう絶対に13,50ユーロの分は取ってない! でも、雰囲気も景色もサービスも良いので満足しています。 ほら、私達のホテルから聖ゼバルト教会はあんなに近いのですよ。 日本の観光客は泊まりに来ますか、と聞くと、ほとんどの団体はロレンツ地区にある大きな高級ホテルに泊まるので、ここの様な小さな宿は見過ごされるそうです。 今日も、ひどく暑いです。 この日は左の写真のウィンズバッハ少年合唱団が成立75周年を記念して、5つの少年合唱団を招待して合唱祭を祝うのです。 まず主催者のウィンズバッハが右の写真のポーランドのポズナンとの合同コンサートです。 説明書にはポズナン・ナイチンゲールとなっていましたが、この合唱団は単にポズナン少年合唱団と言う名前で、確か去年ベルリン大聖堂にコンサートに来たけれど行かないで終わりました。 だって、愛しのヴォイテクの歌っていたナイチンゲールではないのでしたから---------偏見はいけませんね。 教会の前はもう人がわんさかと並んでいました。 当日券を買う人を尻目に、私達は中に入りますが、ウィンスバッハ少年合唱団の文字の入った紺色の袋を沢山持った女性がいたので、どこで買えるのか聞くと、コンサートの後で記念に配られるとの事。 つばを付けておきました。 教会の入り口近くには机が置いてあって、二人の少年がプログラムを売っています。 このユリアン君達は目下変声の最中で、今日の合唱には参加できませんが、「僕たちはバスを歌うんです。」と誇り高げに教えてくれました。 ウィンズバッハはニュルンベルクから列車では45分、バスでは1時間ちょっとの所にある、こじんまりした街だと知りました。 今から75年前、マウワースベルガー教授に音楽の教えを受けたドレスデン聖十字架少年合唱団の元団員タムさんが、遠いバイエルンの街で、自分の優秀な出身校に由来した少年合唱団を設立しました。 私の昔のペンフレンドの一人がドレスデンクロイツの団員だったので、この話を聞いた時に、是非ウィンズバッハのドレスデンクロイツを一度聞いてみたいと思っていたのです。 そのウィンズバッハ少年合唱団が設立された時は、制服も歌う曲も、バッハやシュッツのモテットばかりで、まるでドレスデン聖十字架少年合唱団そのものだったそうです。 これはニュルンベルクの聖ロレンツ教会で歌う1958年のウィンズバッハ少年合唱団の写真。 さて、みんなが席に着くといよいよコンサートの始まりです。 まず最初にウィンズバッハが歌う前に私達の横でポズナンが待機しだしました(もう略語です)。 友人に聞かれた時は、聞こえればいいと言って、私達の席はずっと後ろになりましたが、やはりなるたけ前の方が、禿頭を見ないだけ良かったかも。 この後は急に静かになって、司会者の説明があり、ウィンズバッハの少年達が歌い出しました。 最初から総毛立つような清らかな歌声が教会に響き渡ると思わず息をのみました。 知らない宗教曲は歌声を美しく聞くばかりで、聞きながらふわふわ浮いた感覚になっています。 ウィンズバッハの少年達は1900年代作曲家のモテットを6曲も歌ってくれましたが、こんな場合、もっとモテットの勉強をしておくべきだった。 けれど、ワルツとか童謡が好きな凡人に宗教曲はどうも重いのですよねぇ。 最後のJake Runestadのアレルヤでは青少年達が上品に胸を叩く姿が印象的でした。 動画を撮らなかったので、YouTubeで見つけたのを載せておきましょう。 ふと気が付くとユリアン君が一人、片隅で仲間の歌う合唱をひっそりと聞いています。 ウィーン少年合唱団72年組の場合でもわかっていますが、脳みその新しい少年合唱団員達はどんな難しいモテットでも、毎日同じ曲を練習しているうちに自分のものにしてしまうので難しいという感覚が無くなるのでしょうね。 練習を重ねればマイスターになれると言うドイツの格言があります。 よし、私もこのモテットを何回も聞いてマスターしましょうか。 あ、だめだ、脳みそが古いので無理です。 次はポズナン少年合唱団の歌う番です。 またまた運がついていると言うか、そこでまた記念写真を撮らせてもらいます。この合唱団も6つの宗教曲を歌い、最後に二つの合唱団がブルックナーのLocus isteを合唱しました。 あまり聞く回数はなかったのですが、このブルックナーなら知っていましたねぇ。 これは嬉しい! テンションも上がりましたぁ。 この動画に関しては、友人の元WSKの男性諸君が口をそろえて「団員時代に自分も歌ったよ。」と嬉しそうなメッセージを送って来ました。 あら、ユリアン少年は最後に石床にあぐらをかいていました。 時間を見ると12時半近くになっています。 コンサートは1時間半もやっていたのですね。 知らない曲でも聞き惚れていると、あっという間に時間が経っているのでした。 みんなぞろぞろと出口に向かいます。 次のコンサートは歩いて15分は掛かるロレンツ地区で、始まるまであと1時間しかありません。 教会を出ようとしたら運よくポズナンの団員達がいたので、写真を撮らせてもらいました。 ズボン吊りが可愛い。 去年のベルリンコンサートに行っていたら、これはキエフみたいに再会になっていたのかもね。 おっと、忘れないうちにウィンズバッハ少年合唱団の袋を二つ、友人の分までもらいに行きました。 教会から出るとすぐ、今度はウィンズバッハ少年合唱団の団員達と鉢合わせ。 ここでようやく歌っていた少年達の顔が認識出来て現実感が湧いて来た。 見て下さい、暑いだろうにこの少年達の友好的な素敵な笑顔を。 あっ、と気が付いて、私が持っている袋を前に下げてもらえば、もっとウィンズバッハ少年合唱団らしくなるなと思いました。 ほらね。 これがウィンズバッハ少年合唱団特製の環境にやさしい紺色の袋です。 これからは、この袋と共に移動しますから。 この合唱団の指揮者マルティン・レーマン氏は、創立者と同じく、元ドレスデンクロイツ出身だと読みました。 そして、8月にはそのドレスデンクロイツの指揮者として故郷に戻るそうですが、9月1日からのウィンズバッハの新しい指揮者は、元トマーナコア団員だった42歳のルドヴィッヒ・べーメさん(既婚者で子供も二人いるそうですから、手を出してはいけませんよ)になるそうな。 ドレスデンもトマーナもマウワァスベルガー兄弟が最盛期を背負って来たし、この3つの少年合唱団はどこかでずっと繋がっている気がしています。 あらら、もう12時40分。 この猛暑の中、これから急いでロレンツ区に向かわなくてはなりません。 13時半からのコンサートは聖ロレンツ教会で、大好きなレーゲンスブルグ少年合唱団と、まだ知らないノルウェイのニーダロス大聖堂少年合唱団の合同コンサートです。 この左のニーダロスもコロナの前にベルリン大聖堂に歌いに来ていましたっけね。 聖ロレンツ教会の大きな聖門の前では、今日は横断幕を持った年寄りの平和の使者ではなく、愉快なパンダが走り回っていました。 その大きな門は閉まっていて、教会の横にある小型の門から入ることになっていましたが、時間になるまで誰も入れないと言う事で、広場の木陰のベンチに座って待ちます。 友人はトイレに立ち、私は隣に座った老婦人とお喋りしながら、白いTシャツの少年達だけが何人もその門から入って行くのに気が付いていました。 するとそこに大柄な紳士が現れ、「おや、また会いましたね」と声を掛けながら隣にどっかりと腰を下ろしました。 さっきゼバルト教会で言葉を交わした元ウィンズバッハ少年合唱団員のフロリアン氏です。 今は混声合唱団で歌っているそうですが、自分の団員時代の事を話してくれたにも拘わらず、やはり思春期の頃に心を寄せたウィーン少年合唱団と違い、良く知らない他の少年合唱団にはそれほど熱心に気持ちが傾かないで、この暑さの中、この人がアンスバッハ出身と言う事しか覚えていません。 ちょうど友人が戻り、私達はみんなで教会の中に入ります。 ここでもウクライナの平和が大きく祈られていました。 私達の席は今度もかなり後ろの方でしたが、なんと、すぐ近くにはウィンズバッハ少年合唱団の団員達が座っているのでまた写真を撮らせてもらいました。 こうやって快く引き受けてもらえるのって、テンション上がりますよねぇ。 あ、レーゲンスブルクの青少年達の入場です。 レーゲンス君達が席に着くと、まず最初に紫のローブを着たノルウェーの合唱団から歌い始めます。 老眼で良く見えませんが、さて、どんな歌声なのか緊張しますね。 おっと、動画はボケたりぶれたりですが、肝心なのは歌声ですからね。(言い訳) この合唱団は5つの知らない宗教曲を歌ってくれました。 思い掛けない上手な合唱団で、びっくりしてカメラを降ろして聞き入りました。 それに楽譜無しで子供達が歌っているのにも感心です。 少年達が退場すると、今度は待ちに待ったレーゲンスブルク少年合唱団が舞台に上がって来ます。 年長の兄さん達のすらりと長い足の舞台姿が何ともカッコイイ! 昔ドレスデンクロイツの年長組に会った時はムンムンしていやだと思いましたが、この歳になるとムンムンどころか爽やかさを感じる・・・・・歳取るとは何ともいいもんです。 しかし、コンサートはまだ始まらないので、ウィンズバッハ君達にはこの機会にサインを書いてもらっています。 ユリアン君、後ろは気にせんでもよろしい・・・・・が、私達のすぐ後ろには参加しなかったニーダロスの団員も見学に来ていましたよ。 ルカのいた72年の頃は、サインなど価値のないものと無視していましたが、ウサギちゃんが自分の仲間のサインを持っていたのを見て、思い出と記念の為にはいいのかもしれないと考えを変えました。 どうせ読めないし誰が誰だかわからないんだけれど、自分の為にこんなにたくさんの少年がサインを書いてくれたのが嬉しかったです。 さぁ、レーゲンスブルク大聖堂少年合唱団が歌い始めますよ。 今まで聞いてきた4つの少年合唱団は、それぞれどれにも引けを取らないぐらい上手ですが、レーゲンスブルグは長い間想って来た合唱団だけに、インパクトを強く感じました。 この合唱団は10曲も歌ってくれましたが、やはり知らない曲ばかりで残念。 最期は勿論二つの合唱団のすばらしい合同合唱です。 動画を撮るのを忘れるぐらい素敵な合唱でした。 私がここで撮らなくても、誰かがそのうちにもっと良い動画をYouTubeに沢山載せてくれるに違いありません。 さて、聖ロレンツ教会のコンサートが終わった後は、またゼバルト地区に戻ります。 行ったり来たり、これで道に迷う事にでもなったら、アルツハイマーの始まりだわ。 ミューゼウム橋に掛かった時に、そこの土産物店に、気になる黒い小動物がたむろしているのに気が付きました。 躊躇することなく「ポズナン?」と聞きました。 やっぱり-------タヌキの嗅覚はすごい。 ごめん、暑さで写真から一人はみ出して撮ってしまった。 サインもしてもらいましたが、言葉が通じないのを幸いに、すぐにゼバルト地区に向かって突進。 時間があったのでホテルに戻ると少し休憩。 教会に近いホテルで本当に助かった。 瞼の裏の充血と膿の膜は変わりなしで、このまま治ってくれるとありがたい。 さて今度はスペインのエスコラニア・デ・モンセラット少年合唱団とハノーバー少年合唱団の合同コンサートが待っています。 でもこの続きは後編に書きますね。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。 貴方の失敗ではないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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