カテゴリ:結婚記念日を祝って
2022年11月24日 木曜日
私達がチロルから戻った日からカタールで サッカーのワールドカップ が始まって、ブログを書いている時間が少なくなっています。 さて、ワールドカップを見る楽しみの一つは、国歌を歌う選手たちの姿です。 試合の二日目は英国とイランの戦いでしたが、なんと、イランの選手たちは自国での自由への抗議デモに連帯して、国歌を歌いませんでした。イランでは暴動が起こりそうなデモの市民に対して警備部隊が銃を撃っていますが、それに対抗して市民側に着いて銃を撃たない警備隊も出てきているそうです。これは国内反乱の始まりかな‥‥ロシアもこうなってきてもらいたい。独裁政治は全世界から撲滅すべきです。 昨日は日本とドイツの初戦でした。ドイツの11人の選手たちはドイツ国家を歌った後、「One Love」を示すこんな格好を。 その理由はこのページでどうぞ。 日本とドイツの試合でものすごかったのは、日本が7回目の出場で初めて、W杯の初戦で勝ったことです。それもあの強いドイツにですよ~。私は同点で終わることを願っていたのですが、日本が勝ってやっぱりすごく嬉しかったな。 ドイツの放送では日本のサポーターたちの映像も沢山映っていましたが、その女性たちがみな女優さんのように美しいんですね。そしてドイツの解説者が、日本のサポーター達の座っていた場所はいつもきれいに片付いていて、世界で一番礼儀正しい観客だと言っていました。選手たちのロッカールームも片付いてアラビア語のありがとうと共に、11羽の折鶴が置かれていた。キュ~ンです。 2022年11月19日 土曜日 明日は私達の結婚記念日・・・・ということで暖かいスペインに旅行をしたかったのですが、あらまぁ、プップクンの旅券が切れていました。 そこでチェコ、ボヘミアのカルロヴィ・ヴァリに行きたいと提案したのですが、チェコに行って泊るのは車の盗難の恐れがあるので危険だ、とプップクン。 ということでお互いに妥協して、チェコの国境に近いエルツ山地に宿を探しました。 向かう方向は途中までウィーンに行ったコースと同じで、此処からライプチヒ方面に左折。 今回の旅行はもう冬に入っていて、行先にはこの通り霜が降りていました。 その代わり、遅くまで温暖な気候だったので、紅葉でなく、黄葉が続いています。 こちらは日本のように色とりどりではなく、まさに黄金の秋と言う感じですね。 そうそう、エルツ山地は銀やウランなどが採掘される鉱山で、この建物の横にある輪車はそのトレードマーク。 これは採掘に使われた機械の一部で街のシンボルとしておかれていました。プップクンもルール地方の炭鉱の町ギルゼンキルヒェンで生まれたので、このシンボルがすぐに目に入ったようで、それからは炭鉱の責任者だったお爺さんの自慢話の始まり。 行先の途中のフライベルクには銀鉱があり、ここは大学の町でもあるそうです。 温度が0度と、かなり寒いし時間も無いので、ここはほんの少しの下見だけ。 なかなか小綺麗な街なのですが、見学はまたの日にして。 こんな風に手入れを待っている建物もまだたくさん残っていますね。この次に来るときは修復されているのかしら。 うへ~、何だか不気味な建物が見えてきました。 後で調べたらレゲンフェルトの石灰窯ですって。博物館になっているらしい。 やはり鉱石の産地らしい雰囲気です。 ま、冬に入ったこともあって、景色はあまりぱっとしないのですが、そもそもエルツ山地は金持ちの地方ではなかったとのこと。人々は寒い時期、木細工を作って生活をしのいでいたそうです。今は世界中でここの木細工は有名になっています。 あっ、ベルリンのクリスマス市でもよく見かける木製ピラミッドが上にプロペラを乗せて堂々と立っていますね。 このクリスマスピラミッドは日本のクリスマス市にもあるとわかりました。 こちらのクリスマスの雰囲気を日本でも味わえそうですね。 エルツ山地ではクリスマスだけに限らず、夏至にもこれに飾りつけされるそうです。 後ろの建物は学校でしょうか。この地方で取れる板岩から作られた独特のスレート屋根です。この屋根の家はザクセン州に入ってからよく見られるようになります。 私達のホテル近くにあるマリーンベルクの町の入り口には、この町の聖母マリア様を中心にしたトレードマークがありました。 マリア様など、ここら辺では珍しいと思ったら、この町のワッペンでした。 Xの文字になっているのはハンマーと金づちで典型的な鋼業の町の印です。 ここでプップクンは道を間違って行き止まりになり大きく引き返し。 これはエルツ山地独特の家々ですが、ドイツ統一の後、修繕されて見た目がきれいになっています。その昔はすべてがネズミ色で暗い風景でした。 もう、最初からカーナビを入れておけば良いのに、プップクンはいつも自信過剰なので変なところに寄り道が多い。おかげでいろいろな景色が見れるのですけれどね。 この石橋の上を通っているのは列車でしょうか。 ホテルに着くまでに、S字型になって引かれている単線路の上を何度も通り越えましたが、その列車に乗ってみたいと思ったら、すでに廃線になっているということでした。 私達のホテルは東ドイツ時代の街灯の立つ、何もない一本道の先にありました。 ホテルの周りにも何もない。 でもスレート屋根の典型的なエルツ山地の造りのホテルです。 そして外壁にも窓の中にもキャンドルアーチが。 これまでにもこのキャンドルアーチをあちこちで目にしてきたので、これからは写真に収めよう。 私達のお部屋は何の変哲もないものでしたが、居心地は申し分ありません。 窓から見る表の景色はこんな感じです。霜が降りて白くなっている。 サウナまでにはたっぷり時間があるので、ホテルのレストランでは何が食べられるのか献立表を見せてもらいます。 左はチェコのコック兼ウェイターと右の二人はまだ見習いの少年達。こんな若い子を見ると、ヒンタービヒルで給仕のアルバイトをしていた元団員達の事を思い浮かべます。実際にその思い出を書いてくれたゲオルクさんは「小さな歌」の本の中でその時の愉快な経験を語ってくれています。 例えば、タウチュニヒ団長が特別室でドイツからの4人のお客を迎え入れた時に、変声組のゲオルク君が給仕をしたのですが、それぞれのお皿には、小さな金属のスープ入れで厨房から運んできたヌードルスープを注ぐことになっていました。私はそのスープ入れがどんなものか想像できなかったのですが、ゲオルクさんがそれに似た画像を送ってくれました。 このほかに持ち手の下の部分に小さなフックが付いているのがあるのですが、彼はそれが見つからなくて、このスープ入れを使うしかありませんでした。 本来、厨房はレストランの横にあるのですが、団長の特別室はそこから一番離れていたそうです。「中指にすべすべした取っ手を掛けて廊下の角を曲がると、自分の長く細すぎる脚の歩調はますます速くなりましたが、それでもタウチュニヒ団長の所までは苦痛な道のりでした。」本の中の文章です。 彼はスープ入れを運んでいる最中に金物に接している中指が熱くなって、とうとうタウチュニヒ団長のお皿にスープを注ぐときにとんでもない失敗をしてしまいます。 本にはこのスープ入れの画像が載っていませんが、ヨーロッパ人は文化が同じなので文章を読めばすぐにわかるのでしょうね。本はドイツ語と英語で出版されるそうです。市場に出たらブログでお知らせしますよ。 話が逸れて、エルツ山地からチロル山地に行ってしまいました、ってか、私はやはり昔のウィーン少年合唱団が大好きなんですよね。・・・・寄り道の言い訳。 プップクンの標的のサウナは16時から用意ができるそうなので、私たちは25年前に行ったことのあるアナベルクに行ってみることにします。きっとクリスマス市の準備が出来ているでしょう。 ・・・・と思ったら、まだその最中でした。 25年前のこの町はまだこんなに綺麗ではありませんでしたね。 クリスマスピラミッドもまだ人形もプロペラも設置されてありませんね。 なので今日は途中のショッピングセンターでお茶の時間にします。 あとはおとなしくホテルに戻ることにしました。 プップクンはサウナ。私は水着を忘れたので、プールに入ることが出来ず、部屋でウクライナ情勢を見ます。今日は道端に置き捨て去られ、戦車に轢かれて形の無くなったロシア軍兵士の画像を見てしまいました。ロシア兵士と言えども、生きて仲間と笑っていたことのある青年だったでしょう。こんな姿で自分の母親と会えなくなるなんて。やっぱり戦争を起こしたプーを憎みます。 明日の朝はここで朝食。 レストランでは誰かのバースディを祝っていました。 私は秋の模様のテーブル紙ナプキンで鶴を折ってプレゼント。 見たことはあるが、折り紙を初めて手にしたと喜んでくれました。 レストランはホテル客ばかりではなく混んでいて、大賑わいで、座ってから1時間近くも待たされました。 やっと来た私達の夕食はプップクンはとんかつで私は鱒のバター焼き。 さて、夜も迫って来たので、今日はこれでおやすみなさい。 明日のチェコへのドライブが楽しみです。 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方にはここから感謝したします。💕 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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