カテゴリ:映画の時間
前の日記で第2次世界大戦でオーストラリアに留まった少年達のお話を書きましたが、戦後の日本では戦争後に親を失った戦争孤児たちが道端で暮らしていました。浮浪児と呼ばれましたがそういう言葉を今の若い人は知らないのでしょうね。
昭和22年(1947年)から25年までその子供達をテーマにしたラジオドラマが放送され、そのテーマソングがこれです。フラナガン神父の名前も懐かしい。 私が幼いころ、この歌を聞いて戦争孤児に関するものとは少しも知らないで、この丘の鐘の鳴る赤い屋根の建物はきっとどこかの素敵な教会の事だと思っていました。 子ヤギの鳴いている緑の丘も遠い憧れでしたね。 そして前の記事の戦争で犠牲になった子供たちの不幸な出来事に遭遇した後、ヒンタービッヒルの少年の家と言う文字が出てきたと思ったら、今度はこのラジオドラマで「少年の家」と言う文字に出会いました。 そしてそのラジオドラマを元にした映画が作成されてから75年後の今日、初めてこの動画に出会ってあの歌の意味を知ることになったのでした。 まぁ、インターネットって何と素敵なんでしょう。 このブログに来てくれるオールドは恐らく私よりも年の下の方達ばかりだと思いますが、それでもこの動画を共有したくて新しい日記を書きました。 どうか時間を作って当時のこの動画を見てくださいますように。 私が小学生になる前、仙台の祖父母を訪ねる為に両親と上野に行ったことがありました。駅内には田舎から仕事に就く為に上京してきた14~5歳の子供たちがそれは沢山たむろしていた光景を覚えています。彼らの顔つきはどれも険しく不安そうで、私にはその雰囲気が恐ろしくも感じました。 何時間も掛けて仙台に向かう汽車は真っ黒い煙を吐いて走っていましたっけ。 もう一つ、ソ連がやった子ども達への仕打ち。 これはポーランドの子供達。 ついでに2000年のベルリン映画祭で放映された日本の映画「独立少年合唱団」の動画も貼り付けておきましょう。 この映画の監督や出演者が私が働いていたレストランにプレミアの打ち上げ会でやって来ましたが、私は就業時間が来たのでコック長の勧めを断って帰宅してしまいました。今考えると、ちょっとおしゃべりをしておいた方が良かったのかな・・・と。せめて主役の少年が本当にあのソプラノを歌っていたのか聞いてみるべきでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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