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昨日までの天候に比して今日は朝から降りつづいています。
特に外出の必要も無く、昨日の餘部旅行の記事をまとめています。
久しぶりに訪れた餘部(アマルベ)ですが、あの空中に浮かぶ駅舎は何度見ても飽きの来ない素晴らしい建物ですね。
以前は徒歩で駅舎まで歩きましたが、今はもう、その元気はありませんが、やはり、また、行きたい場所の一つです。
しかし往復16列車列車座席で過ごすのは疲れました。
朝からの雨天で期待していたお花見は今日はむりですね・・・・。
今日は何の日
ペルーの来日記念日
1899年の2月27日、ペルーでの成功を目指した日本人790名を乗せた佐倉丸が、横浜港を出港した。そして永い旅を終えて、ペルーのカヤオ港に到着したのが、同年4月3日です。
ここからペルーと日本の永い友好と協力関係が始まってゆきました。
日本人がペルーに移住していったきっかけは、1893年ペルーと日本間に通商条約が改定され、室田義文メキシコ公使がペルーの公使も兼ねることにはじまる。
彼がペルーへ日本人を移住させることについての調査を詳しく行い、当時移民についての事業を一手に受けていた森岡商会が、ペルーに田中貞吉を派遣し、ペルー国内の農場主と日本人農業労働者との契約を取り付け、最初の邦人790人が日本からペルーへ佐倉丸で向かったのだった。
しかし、到着した彼らを待っていたのは、豊かで理想的な新天地ではなかった。長い航海の末、過酷な労働と風土病、厳しい生活から、初期に到着した日本人は、ほとんど志半ばにして、亡くなってしまったという。そうした人々の思いを受け継ぎながら、日系人たちがペルーの社会に溶け込み国を支える重要な担い手となっていった。
さて、ここ横浜市の臨港パークにある、おかっぱ頭の女の子は「リマちゃん」だ。
ペルーへの移住100周年を迎えた1989年。
多くの人たちの善意により、作られた。ペルー・リマ市の日秘文化会館の中に、「さくらちゃん」という女の子の石像がいるが、その小さな手は太平洋に向かい、日本を向いて伸ばされている。
リマちゃんは、日本人が入植したカニエテ海岸の自然石で作られ、横浜へと運ばれてきた。
二人が向かいあうとき、今もこれからもかわらない、日本とペルーの友好が続くことを願っている。
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今日のお食事
朝、トースト、コーヒー
昼、かやくウドン
夕、マーボ豆腐
これが今年の家族新聞41号です。当分、毎日のページに残します。