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今日、改めて義母に『離婚調停を申請するつもりです』と報告しました。
義母は、「俺様」もしくは「王様」な夫のお母様とは思えないくらい、芯が強くてでも優しい人です。 このお母さんに育てられて、どうして夫がこういうモラハラ人格に育ったのか・・・私も分かりません。 義母は、私なんか足元にも及ばないくらい苦労をされた方です。 義父とはお見合い結婚だったそうですが、ご自身の父親は公務員で、しっかりとした家庭で育たれたようです。 当時年上のお嫁さんというのは立場が小さく扱われたようで、それだけで姑から多数の嫌がらせを受けた・・・と聞いていました。 今は認知症というのでしょうか。 要は、ボケてから更に扱いがひどくなったようで、朝食を食べた後に近所の知り合い中に 『嫁に朝食も作ってもらえない。いじめを受けている。助けてくれ」 というような電話を毎日のようにかけていたなど、色々と聞いてはいました。 義母の不幸!?は、結婚してから始まったように思います。 義父よりも年上だった義母は、義祖母からそれはそれは大変な嫌がらせを受けた・・・。 結婚してから義母はおろか、義姉からもたびたび聞いていました。 義母への嫌がらせどころか、義祖母の嫌がらせは義姉、義弟にまで及んでいたそうです。 とにかく、義祖母の奴隷のように扱われたのが義母です。 『とにかく冷たくてきつい人だった』 いつか義母がさり気なくこぼした事がありました。 私は夫から、義祖母から『とても可愛がってもらった』としか聞いていなかったので、当時は聞き流してしまいました。 「これはひどい!」 と内心思った事があったのですが、詳しくは聞かないままでいました。 何から話したいいのか??? 義母の苦労は、並大抵ではありませんでした。 お勤めに出ている人・・・という事で納得し結婚した義父は、結婚してから2年後に『喫茶店をやる』と言い出し、勝手に勤めを辞めてしまったそうです。 義母はもちろん大反対をしたそうですが、当時まだまだ元気だった義祖母の前では強い事は全く言えなった・・・、そのうち夫である義父は本当に退職してしまい、半ば強引に自営業の妻になった訳です。 義祖母は何かと言うと義母に文句ばかり言っては、叱っていたそうです。 三食のご飯の前には必ず掃除をすること。 夫と自分(義祖母)を常に立てること。 ご飯は必ず時間通りに作る事。喫茶店の仕事が忙しくても、子供達と自分の夕飯は必ず6時には作って食べさせる事。 1階の義祖母のエリアには、子供達のおもちゃさえ一切置かない事。 口答えしない事。 近所付き合いしないこと。 などなど・・・。 ↑は私が簡単に聞いた限りですが、多分もっと色々と束縛されていたのだと思います。 義母は、義弟を産んだ35歳くらいから重度のリウマチに侵されて、64歳の今では殆ど外出出来ない状態です。 常に手先、足先がしびれて、何年も文字を書けない状態なのです。 歩けないし、もちろん遠出の外出なんか出来ません。 遠出をする時は車椅子を使います。 夫は、姉、自分、弟の3兄弟ですが、実はお義姉さんの上にもう一人息子さんが生まれていたのだそうです。 何が原因で亡くなったのかは私も未だに分かりません。 しかし、義母のせいではない・・・とは思います。 先天的な病気だったのでしょう。 義兄に当たるこの子は、生後6ヶ月で亡くなっています。 このことで更に義母は義祖母からのいじめを受ける事になったようです。 「お前が孫を殺した!!」 ・・・自分のお腹を痛めた子供が亡くなっただけでも立ち直れないくらいショックだったでしょうに、義祖母は自分が亡くなるまでこう言って義母を責めたそうです。 次に産まれたのは義姉。 女の子。 義祖母にとって大切なのは、『長男』を出産する事だったようで、義母はこの事も責められたようです。 ようです・・・と言うのは、義母は一切そういった言い方をしないからです。 ただ、義姉を可愛がらなかった。 男の子を生まない嫁の事を罵り続けた・・・という事は聞きました。 ・・・そして待望の『長男』が生まれます。 そう、我が夫です。 義祖母は夫だけを、いつも手元に置いて可愛がったそうです。 義母は「そうだったかしら?」 と首をかしげていましたが、私は夫から何度となく義祖母から可愛がられたエピソードを聞かされていました。 小学校低学年まで毎日のように義祖母の部屋で遊んでもらい、お小遣いをもらって菓子パンを買いに行ったり、昔話を読んでもらった良い思い出しかない・・・。 良いおばあちゃんだったと聞いていました。 義姉は「おばあちゃんの部屋に入った思い出なんてない」と言っていたので、『長男』である夫だけだったのでしょう。 更に義母は義弟を産んで、義祖母から嫌がらせを受ける事になります。 義弟が生まれる前から体調が悪く、抗生物質の薬を毎日服用していたそうなのです。 ・・・結果、義弟は生まれつき全身の筋肉が発達しない身体障害者として生まれてきました。 障害のあるのは体だけ。 頭の中身は健常者と同じなので、義弟は独学で大学まで出て、今は普通にお勤めに出ています。 彼は努力家で、私が尊敬する一人です。 しかし義弟を出産した事で、義祖母の怒りは増したそうです。 義父が始めた喫茶店は、当時朝9時から夜の11時まで営業していたそうです。 義母は殆どお店を手伝いながら、もちろん家事もこなしていました。 義祖母から嫌味をいわれながらの毎日・・・。 夕飯が遅れようものなら、近所中に悪口電話をかけられたそうです。 「嫁がご飯を作らない、殺される・・・」 子供の世話をして寝かせ、その後も夜11時の閉店までお店に出て、閉店後には後片付けでまた1時間以上掛かります。 義父は義祖母から引き継いだ『たばこ』の仕事もしていたそうなので、義母は後片付けを全て引き受けていたようです。 さらに義弟が小学校へ通うようになると、毎日学校に付き添って一緒に授業を受けていたそうです。 健常者が通う、普通の学校ですから・・・仕方のない事だったのかも知れません。 しかし、義弟の学校に付き添う事は義祖母からしてみれば、面白くない事だったのでしょう。 ただでさえ大変な義母は、義弟に付き添って学校へ行く事で更に嫌味、嫌がらせを受けたのだそうです。 そして夜はお店の仕事・・・。 私が夫と知りあった時には、この義祖母はとっくに亡くなっていましたが、義母は60歳前だというのにすでに体の自由が利かない状態でした。 そして義父から家計の事など一切知らされず、月に8万円のみ渡されるばかりで、お金も自由に使う事は出来なかったそうです。 初めてご挨拶した日。 とても心配そうなお顔で私を見ていた義母。 そりゃぁそうです。 夫は一切自分の両親に私の事を話したことがなかったそうなので--; それでも一生懸命に私の事を心配してくださいました。 義父は結婚にあたって一切金銭を出さない・・・と言っていたので、結納金など一切頂いていませんでしたが、2回目にお会いした時に義母が 『ごめんなさいね。普通は結納金を納めるのに何も出来なくて・・・。私はお金を自由に使えないのだけど、良かったらこれを足して婚約指輪を買って・・・』 と10万円を渡してくれました。 いくら世間知らずの私といえども、義母が苦労して用意してくれたお金だと言う事はすぐに分かりました。 ・・・先の話になりますが、義父が亡くなった時に「どこになんのお金があるのか一切分からない。通帳もどこがメイン銀行なのか分からない。ローンを支払う通帳も分からない。土地などの権利書がどこになるのか分からない!!」 ・・・と夫ともども家族中パニックになったくらい、義父は自分で全てを仕切ったまま亡くなったので、近所の銀行中を夫が事情を話して探し回りました。 未だに全ての所在が分かった訳ではないので、義父は本当に自分ひとりで色々としていたようです^^; 生命保険に入っているかも分からなかったので、当時私もお手伝いで各社に電話をかけまくった記憶が生々しいです。 それだけ、義母が用意してくれたお金はありがたいものでした。 とても苦労して用意して下さったお金だと思いました。 まだ・・・義姉も結婚する前で家にいたのだし、少ない生活費を貯めてくださったのでしょう。 義母は、一切自分の意見を言う事は禁じられて結婚生活を送ってきました。 義祖母が亡くなってからも、義父のびっくり仰天!な行動に振り回されてきました。 ・・・何も教えてもらわないまま、ある日突然500万円以上する高級車が納品されてきてびっくりした!とか、山の好きな義父が連絡のないまま1週間行方不明!?になってしまったとか(一人で山に登っていたようです^^;) 知らない間に長野県に何箇所か土地を買っていたとか、現在の夫婦関係ではとても考えられない事です。 今義母は 『やっと自由に暮らせるようになった』 と微笑みます。 義父が亡くなって悲しかったでしょうけど、生活も安定して自分の好きな『TVが観れるのよ!』と話していたことを思い出します。 こんな義母に、私ごときのちっぽけな不満!?を話すことはとても恥ずかしかったのですが、先日思い切って夫との生活の悩みを話しに行くと、驚いた事に義母は 「・・・りみさちゃん。結婚して楽しい事ってあったの?」 と私に聞きました。 「これまで色々と聞いてきたけど・・・。ここへ(夫の実家)越してきてからは本当に辛かったわね。・・・そこまで○○がひどいとは思わなかった。ごめんなさいね」 と言った後 「りみさちゃんがそこまで辛い思いをしているのに、私はもう子供達の為にも我慢して・・・とは言えないわ」 と続けられました。 「!!」 今まで義母は『別れた方が良い』とは一度も言わなかったのです。 子供達のために・・・とやんわり離婚を思いとどまるように話していました。 それが・・・。 義母は自分が辛い思いをしたから、私には同じ思いをさせたくないと・・・口に出しては言わないけれど、そう思ってくださっているのが良く分かりました。 そして、自分の息子。 夫だけが義祖母そっくりに育ってしまった事に、胸を痛めているようでした。 義母のために言い足しますが、私は夫がモラハラに育ってしまった事は義母のせいだとは思いません。 義祖母や義父が義母に対してしてきたこと。 黙って耐えるしかなかった事を、どうして責める事ができますか? 夫は家族の中で特別に扱われた。 義父からはともかく、義祖母からの幼少期に受けた教育!?は強烈なものだったと思います。 止めたくても、今とは時代が違います。 簡単に離婚なんて出来なかったし、夫や義母に仕えることが当たり前だった時代です。 ・・・だからこそ、今熟年離婚が多くなっているんでしょうけど・・・。 義母は言いました。 「○○(夫)の事は考えずに、あなたの幸せを考えて欲しい。これから先のほうが、夫婦生活は長いのよ? もうこの近くに住むのは嫌でしょう?○○と顔を合わせるのも嫌でしょう? だったら思い切って転校させて、○○と離れる事を考えたほうがいいかも知れない・・・」 そして最後に言いました。 「こんな子供に育ててしまって、ごめんなさい」 『こんな子供』に、今は義母や義姉も振り回されています。 夫は義姉夫婦や、その子供達にも言葉や態度の暴力を振るっています。 それを知っているから。 義母は話の最後の方で、 「少ないけど、これを使って。子供達にも何か買ってあげて・・・」 と5万円を下さいました。 涙が止まりませんでした。 結局「夫を甘やかせる事になる」と私が言って、後から夫に請求してもらうようにお願いして来ました。 義母も納得してくれたようで、 「必ず請求するから。」 と約束してくれました。 この事があってからも夫の態度は変わりません。 病気なので、何を期待しても仕方のない事なのでしょう。 しかし、これ以上義母を悲しませる事は・・・したくないと思ってしまいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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