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テーマ:ひとり言・・?(17621)
カテゴリ:ひとりごと。
ブログ友達のかりんさんの日記を読んで、何十年かぶりに思い出したことがあります。
本当にただの「ひとりごと」です。 私は、幼少時代にかなり厳しく躾けられました。 よその人の事は知らないのですが、幼稚園ママにもよく「厳しいねぇ!!」と言われるので、 多分厳しかったのでしょう。 『他人に一切迷惑をかけるな!子供でも当然!!』と言われて育ったので、わが子にも同じように接しています。 私の母は、とても厳しい人でした。 母というより、母方の祖母、伯母達が厳しかったのでした。 それと後から書きますが、父方の親戚も厳しかったです。 2歳~3歳の間、父の仕事の関係上で母方の実家で暮らしていたのですが、 テーブルの上でおもちゃで遊ぶと、祖母や伯母達からビンタをされました。 お行儀が悪いということで・・・。 その頃のことはよく覚えてはいないのですが、 しょっちゅう泣いていた記憶が鮮明にあります。 母から、祖母から、伯母から。。。 何かそそうをすると、すぐにひっぱたかれていました。 祖母からも、伯母からも、私が一番面倒をみてもらい、本当に大好きで優しかったという思い出も多いのですが、 とにかくよく叱られた・・・という記憶が鮮明です。 幼稚園へ入る年に今の父方の祖母の家に越したのですが、こちらへ来てからも大変でした。 大した家柄でもなかったようですが、祖母(父方)の両親(曽祖父・曾祖母)も健在で厳しくて。 お嬢様育ち丸出しの人たちでした。 家に入る時の動作からチェックされました。 今の実家と違い、今祖母が一人で住んでいる母屋で育ったので、とにかく古い家。 300坪もある敷地の中に、150坪の平屋建ての家。 地方ならともかく、都心に近い場所での平屋建ては、当時でも珍しかったはずです。 松・竹・梅が揃って植えてある家で、なぜかお茶室と池までありました。 玄関のたたきから上がるまでに、靴の脱ぎ方、そろえ方。 「ただいま!」という挨拶の仕方までチェックされていました。 親や、目上の人に対する言葉遣い。 立ち居振る舞い、動作など。。。 ちょっとでも反すると、ビンタが飛びます。 痛いんだなぁ~、コレが 父のことは「お父様」。 母のことは「お母様」。 祖母のことは「おばあちゃま」。 伯父様、伯母様、おにいちゃま、おねえちゃま・・・。 呼び方まで指定されました。 すごく嫌でした。 下町育ちの母には馴染めず、父と家族4人でいる時は「お父さん」「お母さん」と呼んでいいということになっていましたが、 父方の祖母達と接する時には「お父様」に変身--; 幼稚園に入ったばかりの子供が、内と外とで呼び方を変えるというのは、今思えばおかしいとしか思えません。 お座布団やお布団を足で踏むのは論外。 たたみのヘリを踏んでも、叱られました。 畳は何歩で歩くとか、そういったことまで言われたので、 お友達が来る以外は、家の中で走り回った記憶もありません。 嫌なことに、私が小学生の頃は祖母の妹さんが、同じ敷地内でお茶の先生方の先生をしていました^^; お茶室があって、そこにお茶の先生方が1ヶ月に1度、大叔母にお茶を習いに来るのです。 その頃、女の子というと私しかいませんでしたから、私には特に躾関係を厳しくされました。 弟は母にそっくりだというので嫌がらせを受け、 「こんな子は○○家にはいない!!○○さん(母の名)のいやらしい血統の子でしょっ!さっさと追い出して、比叡山にでも入れなさいよっ!!」 としょっちゅう目の前で言われていました。 まだ3歳だったのにね・・・。 母は下町生まれ、7人兄妹の末っ子という気楽な立場でしたけど、 そんな下品な家から嫁に来たというので、私と弟の前で散々母の悪口を言われ、 育ちが悪い女の教育を受けさせられない!!と、 私たちが何かそそう(!?)をすると、口うるさく文句を言っていました。 父はただのサラリーマンなのに・・・。 祖母のそんな文句を聞くのもつらい、幼少時代を育ちました。 祖母の親戚はみな国立や私立小学校へ通う中。 私達姉弟は、ごく普通に公立の小学校へ通って、平凡に生活していた頃。 6年生の夏休みの時です。 母が突然、「隣町のキャンプへ参加しなさい」 と言い出しました。 「???」 です。 私「嫌だよ。何で??」 母「とにかく参加しないといけないの」 私「だって誰も知らない人ばかりじゃないのっ!!」 母「とにかく行きなさい」 何を言っても受け付けてもらえず、前日も当日も、泣きながら母に「嫌だ!」と訴えましたが、結局受け付けてもらえずに、無理やり当日バスに放り込まれました。 6年生だという事で、泣くに泣けず、涙をこらえての参加。 それからの3泊4日は悲しい結末で終わりました。 隣町から一人での参加というので、一部の小学生、中学生から、とんでもない嫌がらせといじめまで受けました。 大分経ってから、母が「あの時はおばあちゃまに言われてどうしようもなかったの・・・」と聞きました。 近所づきあいの関係で、私が連れ出されたようです。 キャンプでは、3つも年上の中学生の女の子に露骨に仲間外れをされた他、 私のリュックサックから荷物を取って隠されたり、 集合時間を私にだけ言わないようにしたりと、散々嫌な目にあいました。 無理に参加させられたキャンプの嫌な思い出はもちろん、 仕方ないとはいえ、母から無理やりバスに放り込まれた記憶。 母をそんな風に追い詰めた祖母の気持ち。 ・・・考えれば考えるほど、吐き気をもようします。 祖母は今、アルツハイマーです。 高齢のため、進行は遅いです。 気の毒だとは思います。 でも、祖母を可哀相だとは絶対に思えないのです。 今、実家では相続問題でもめています。 面白い姉弟関係で、弟であり長男である父は、伯母に敬語を使います。 孫である私達姉弟も、祖母には敬語を使います。 変な家!! 祖母の面倒は、同じ敷地内に住んでいる両親が見ていますが、 祖母が 「○○さん(父)が全財産を狙っている!あなたは半分相続する権利があるのだから、絶対に渡しちゃダメよ!」 と吹き込んでいます。 面白いことに、祖母は両親に 「△△さん(伯母)は、ここの土地を狙っている!絶対に渡しちゃダメよ!」 とも言っています。 我がままで、人を妬む事しか出来ない祖母は、85歳になっても自分の子供達と同じ寝室で寝ることも出来ない気の毒な人なのです。 父も伯母も、生まれてから15年間は祖母が自分で育てておらず、 それぞれ乳母さんに預けられて育ったといいます。 40歳で祖父と死別してから、友人も出来ず、人の悪口ばかり言って生きてきた人。 変なプライドばかりを持って、人を信じられずに来た人。 ・・・おかしいって!! ・・・悲しいって!! いやらしい家系。 祖母は、父や伯母さまに散々人の悪口を吹き込んで育ててきたのです。 幸い父はサラリーマンとして社会に出ましたから、ごく一般的な考え方を身に付け、 祖母の呪縛から解き放たれましたが、 同じく幼い頃から同じ呪縛を受けた私にはたまったものじゃありません!! 弟は、先週さっさと実家のそばに戸建ての家を購入しました。 これ以上、祖母に自分の家族を引っかきまわされたくなかったからです。 利口です。 ・・・良かった。 お嫁さんである義妹に嫌な思いをさせなくて。 姪っ子達に、祖母の醜い姿を見せなくて。 私は嫁に行った立場とはいえ、老後の父の面倒を見ることになると思います。 父も、ただのサラリーマンとはいえ、 お坊ちゃん育ちでわがままな所がありますから、他人である義妹には面倒をみてもらいたくないと言っています。 それでいいんです。 弟はともかく、義妹まで巻き込んではいけません。 ちょっとおかしい家系なのだから。 おかしい祖母に、私が一番性格が似ていると言う母。 そういわれ続けて育った私は、今でも自分が嫌いです。 ずっと祖母が嫌いでしたから。。。 子供の頃に身に付いたもろもろは、大人になっても簡単には消えません。 どうも私にそっくりな性格である息子。 同じような思いで育って欲しくありません。 ・・・恐ろしいことに、実家へ行くたびに息子と娘に色々と吹き込んでいる様子の祖母。 もう、会わせたくないというのが正直なところです。 ・・・今日はグチで終わってしまいました。 いつも来ていただいている方々には、気の重い嫌な日記になって申し訳ありません。 性格の違いもあって、弟は前向きに生きていますが(どうもまるこは、弟にそっくりなのです^^;)私は今でもトラウマとコンプレックスからなかなか開放されないようです。 大分毒素から開放されてはいるのですが、ちょっと思い出してしまったので・・・ごめんなさい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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