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カテゴリ:凹嫁として H23夏同居
~書き込みは7月8日です~~~日記がんばって書いていきます。~
読み終わりにじゃんけんの マークどれか・お楽しみに♪ わたしの実母は、一人っ子です。 自分のお母さん、つまり私の祖母と一緒に暮らしてきました。 わたしはおじいさんの面影があるといわれたことがあります。 わたしの4歳年上の兄が生まれる前かな? 残念ながら亡くなりました。 ある種わがままな実母に、 わたしが愚痴っても、 心休まる返答はない。 かえってその通りにわたしが動いたら、 もっと被害が大きくなるだけ。 あっけらかんと、解決にならない、余計むかつく指導しかしないもの。 広場の皆さんの、 支えは、大きい。 息子らが小学校幼稚園の年頃になって、 すこしずつ週末に、 パパと私と、子供たちの時間が増えていきました。 小さいころから一緒だった母方の祖母は、 93歳で亡くなりました。 明治の女!!で文句や嫌味をいわず、 わたしの父とは、挨拶ぐらいで、余計なことをはなさない、 今思うと、姑の鏡!! 小さい頃, 祖母と、父が、お話しする光景が観たかった。 (思春期の私は、そのことでだいぶ父母につっかかった時があったけれど。) 今はわかる。 祖母はわきまえていた、父はトラブルにならないように祖母には寡黙だった、 挟まれている母は、あっけらかんと。それで良かったんだと思う。 夕食のおかずが一品多い父。戸棚に入っていた酒の肴を 私達はながめるだけだった。 (父が遅いときは、翌日ありつけたけど) 祖母が敬語をつかう、母はおかずを一品別に作っている、 小さい頃からそうか~~父は偉いんだ~~と 馬鹿にする発言なんぞ、思い浮かばなかった。 (もちろん、家の引っ越しや建て替え、子供の教育なんぞでは、 ケンケンガクガクしていましたが。) だから、一家の長として、結婚したらそう、子供達に教育せねばと。 (一品多くはできないけれど、はたらいてお金をいただいてくる大変さは、 語っております。) まだ小学生の私も、父のお酒を用意したり、お酌していた。 だんだん酒量も多くなり、 電車で帰宅の時など、外で飲んでべろべろ~~~の時も。 吐かないぐらいにして下さいよ~~~♪ わたしも20歳からすこしずつ飲んでいましたが、 やっぱり父の血をひいたのか、 お酒、大好き。 雰囲気がいいんです。 父は、一度だけ、 地元沿線の電車の窓に、ヒビを?!ちょっと割っちゃったこともあったな。 (警察から電話でおどろき!どうしたんだろ~~~あのあと。) 生きていた祖母から、父の悪口、 一度も聞いたことがない。 もしわたしが祖母なら・・・・・・。 祖母のような姑が、 いるわけないのです。 かわりに私が、祖母のような嫁になれればいいのですが。 なんだか、ちょっといろいろおもい巡らせてしまいました。 あ、そうそう、落ち込んではいませんよ~~~! 6月4日、3つの日記にしましたが、 くら~~い日記になっちゃったぁ~!! ものすごく落ち込んではおりません。 ただ、ちょっと、気持ちの中でふつふつとあったものですので・・・・。 ご安心を。 では。では お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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