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カテゴリ:頑張れ!受験生!!
続きです。
カウンセリングを受けるようになって、無理やり学校に行かされる事も無くなり、 とりあえずは、心の安定が保たれたわけですが。 そうは言っても、まだまだ、周囲の理解が得られた訳ではなく。 不登校が今後の進路に不利な状況に変わりはありません。 1年生の間は、先生の家庭訪問。カウンセリングで時は過ぎていきます。 2年生になり、親元を離れ、児童福祉施設に入所する事になった私です。 施設内にある分校に通う事になるのですが、 基本が私を受け入れる事が前提なので、居心地が悪いなんて事はありませんでした。 少しは、嫌な事もあったけど、施設なので、逃げ込める場所が無かったので、登校する事が出来ました。もちろん、ケアワーカーやケースワーカーのフォローはありましたけどね。 風邪で、40度の熱を出して1日休んだだけで、ほぼ皆勤で2年生終える頃。 友達も出来て、対人関係もきちんとできるようになってきた頃。 「そろそろ、地元校に戻ってみる?駄目だったら、帰ってくればいいし。」 そんな訳で、3年生から地元の中学に戻る事となったのです。 「私も変わったし、大丈夫。学校に行けるはず。」 そう言い聞かせ、元気に明るく(?)3年の1学期の始業式。 学校に復帰した私でした。このまま順調に登校できれば良かったのですが。 どれ程、私が変わろうとしても、過去は払拭できるものでは無かったのです。 修学旅行(多分6月ごろ)までは、頑張って登校したものの、 それ以降は、無理でした。朝起きて、学校の前まで行くものの教室まで行く事は出来ず そのまま帰ってくる。 「駄目なら帰ってくれば良い」と施設から言われていても それは、何だか自分が失敗したような気がして嫌だった。 無理に登校させるのは良くないって事で、中学には試験を受ける為だけに、 保健室に行っただけだったような気がする。 1日、家にいて、本を読んだり、ボーっとしたり。たまには家事を手伝ったり? 学校に行かず、家でゴロゴロ。このままで良い筈が無い。解っているけど、どうする事も出来ず時間だけが過ぎました。 このままでは、いよいよ、卒業が怪しいというか 進路はどうするのか?って頃の12月の冬休み前の時。 第2の転機が訪れます。 転校という最終手段を取る事になります。 北海道の親戚の家から、従姉妹の通う中学に転校することになりました。 年頃の男の子がいるのに、年頃の女の子の私を受け入れてくれた親戚に感謝してます。 おそらく、親以上に不安だったに違いありません。 親戚とは言え、多感な時期の他人の子どもを預かるわけですし。 親も、肩身の狭い思いをしたに違いないですね。 過去の私を周りが知らなかったのが、幸いしたのでしょう。 「こんなに明るい子が、本当に不登校だったの?」と先生たちを驚かせる程で、 休むことなく無事に中学を卒業。 高校は、ご存知、ぶりちゃんと同じ高校を受験し、見事合格。 人生をリスタートさせる事が出来ました。 それでも、受験前(冬休み)に高校に見学にいき校長先生とお話はさせて貰いました。 その時は私服だったのですが「試験当日は、ちゃんと制服着てきてね」って言われたのです。 「当たり前でしょ?!」って思ったけど、今思えば、見学の時も制服であるべきだったのですね。。。 ちなみに、定員割れではなかったし、当時は(今でも)、不登校だからと優遇される事も無かったので、本当に救われたって思いました。諦めなくて良かったって思いました。 不登校になったのが、義務教育期間で良かったって思います。 周囲の大人も、必死に関わってくれるし、卒業させようと一生懸命、対応してくれる。 そして、いかに多くの人が自分を支えてくれていたのかを知るのは、まだ、後の話ですが。 その話は、また、後日。 もうすぐで、受験ですね。 大丈夫です。不登校を理由に不合格にするような高校ではありません。 自信を持って、受験してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年02月20日 18時41分20秒
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