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神から人へ、人から神へ。 親子も、夫婦も、兄弟も、全ては地上の修行のために、互いの魂 磨き合うため、この世に出会い、結ばれて、 互いの欠けたるところを補(おぎな)い、互いのよさを讃(たた)え合い、 互いを信じ、敬(うやま)い合い、共に助け、慈(いつく)しみ合い、 さにて人はようやくに、人の尊き資質を養(やしな)う。 なれば人は、人たるために、独り生きて死ぬになく、出会い、結ばれ、 相手のために、我が身を捧げ、犠牲にすとも、相手の幸を栄を祈り、 辛きことをも意に介さず、さらにも喜び満たされて、 悔いも残さず、歓喜のうちに、死しても後に感謝にあふれる。 さなる尊き高貴の生を、生きるためには家族が必要。 最も身近な縁なればこそ、人は容易に他のために、身を投げ出すも 犠牲となるも、少しの躊躇(ちゅうちょ)も、ためらいもなく 惜しまず命を捨てるを得(う)。 人は人の本分を、家族のための命を通し、学び、身に付け、全うす。
親子の愛に理屈なし。無償の愛に理由なし。単なる本能、遺伝にあらず。 人の本来持つ尊厳を、十二分にも発揮させ、そを伝えるが親子なり。 その元なるが夫婦ならむ。縁にて人は命を頂き、人たる務めを学び、 果たして、ようやく人となりて去る。 親子というも、様々にあり。親子といえども、仇(かたき)のように、 憎み、嫌いて、いがみ合う者。親子といえども、逆さまに、子に教えられ、 助けられ、子から学びて成長する者。 この世の縁は、仮なれば、あの世に帰らば親子にあらず。 短き現世の縁なれど、切りても切れぬが親子の縁。なれば人は、親子こそ、 宿世(すくせ)の縁と尊ぶべし。儚(はかな)きこの世の命を終わり、 親子の務めを学びて帰らば、次なる生にはさらにも大きく、 大事のみ役を賜(たま)わるべし。 親子の縁を祝うべし。親子となりしを感謝すべし。 二度と巡らぬ縁もあり。なれば、さらにも畏(かしこ)むべし。
さにて本日親子の縁、人として生きる基本としての修行の場なることを 説き示したり。親子の死別は悲しきもの。なれども、そもまた学びの場 なれば、死別の意味をも読み取れよ。さにて。
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最終更新日
2016.06.25 10:56:19
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