カテゴリ:◆人の心◆
でしょうか) ざるとも、人の修行は可能ならん。人の世界にまぎれし真理を、汚れし真を 見つけ磨けよ。己の魂、昇華のための、一つの道を見極めるべし。人には それぞれ生き方あらん。別の道を進みても、求めるものこそ一つなれ、 社会にあるかあらざるか、そにて変わることのなし。なれば、社会に背を 向けるとも、そにて己を卑しめるなく、己の尊さ、生の恵み、生き得る ことにまずは感謝を。神と人との縁さえつながば、後は神にまかさば よからん。無駄なあがきは力の消耗。真実真理と離れるばかり。ただに 進めよ、己の道を。今あるものにまず感謝。今ある意味を読み取れよ。 神は人を救いたく、それを祈りてなすことなれば、余計な詮索、疑い持たず、 ただに信じて生きるべし。
(己の道とは、どのような道でしょうか) 人にはそれぞれみ役あり。そのみ役こそを務めるために、降ろされ、 生まれし現世なり。最後に残るが神との縁なり。なれば、神との縁を 結びて、人の幸福、昇華を祈り、後は心を安らかにせよ。
(でも人間は社会の中で生きるものであり、社会の中でしか生きられない のではないでしょうか。そうであれば、社会とのつながりを持ち、自分の 存在を見つけたいと、願わずにいられないものではないでしょうか) とは、必ず正しきものにはあらず。矛盾や不正、汚濁にまみれし、かえりて 害の多きが今の世。なれば、己を苦しめてまで、何ゆえ社会に生きんとする や。まずは神と人との縁を、つながりこそを第一とせよ。
(世間と孤立し、宗教のみ、神事ばかりに関わっていて、人の修行は充分なの ですか) 人が世間に何年住もうと、神と縁のなきままにては、何の修行となるものかは。 むしろ世間に外れにしても、神を信じて敬虔に、己の生を問うことこそ、 やがては真理と近づきゆかん。なれど忘れてならざるは、人との関わり、 助け合い。たとえ世間は離れるとも、人との縁は切ることなかれよ。 人の幸せ祈ること、人との出会いに感謝すること。そもまたこの世を生きる 意味なり。
(社会に復帰することにこだわる必要はないということでしょうか) 己の御魂(みたま)を磨くこと。なれば、社会の妄想に儚き幻想、囚われる なよ。己を費やし、汚してまでも社会に迷う必要なしそを知ることにて、 救われるべし。心の苦悩、焦燥、煩悶、全ては無駄な、修行の妨げ。 明るく楽しく、曇りなく、ただに感謝を忘るなかれよ。神は共にありて あるもの。共に悲しみ、見守らるもの。己独りの苦しみに、囚われゆくも 執着ならん。我執に曇り、光も失う、哀れな魂となるなかれ。それのみ願う 神を思えよ。神を忘れし心こそ、迷いに堕ちぬる始めなり。
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最終更新日
2017.03.04 11:44:32
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