カテゴリ:◆人の心◆
神から人へ、人から神へ。神の願いは人の成長。心豊かに、健やかに、人の成功、 幸せ喜び、己の幸のみ追うことなく、全ての人の平和を願い、そのため一身、 生を捧げる。さにて本日、卑怯なることの意味を説き示さむ。 今のこの世の現実は、全ての人の問題なりて、人の心を蝕むが、卑怯を恥じる 心の喪失。人は神の子、神からの、尊き御魂(みたま)を分かたれしもの。 なれば心に曇りなく、何に照らせど、恥じるなく、面(おもて)を上げて、 天仰ぎ、澄みし瞳に翳りなく、神の御前にためらうことなし。 神の言葉は速やかに、心に通り、御魂に透る。少しの疑問も、不信も抱かず、 素直に受け容れ、歓び賜る。なれど心に不平持ち、心のやましさ抱えるものは、 神の言葉は煩(わずら)わしさのみ。己の行い、考えの、非を認めるは、辛し、 憂(う)し。そを改むは、さらにも難し。さにして人は、罪重ね、穢(けが)れを 深めて、迷いに苦しむ。卑怯というは、弱さなり。己のあやまち、省みず、 目をばそらして、他を欺(あざむ)かむとす。なれど、神の前にはごまかせず。 光の照らさぬ闇はなし。隠せる秘密も、虚偽もなし。厳正なる神の裁きに、 ただ粛然と、己を任せて、委ねるのみ。神の前にて恥じることなく、恐れる ことのなき心。正しき行い、正しき心、正しき言葉、そが全て。
間違い犯さば、謝ればよし。人を苦しめ、傷つけなば、素直に詫びて、 許しを請うべし。謝り、詫びるは、人の特権。己の犯せし罪を贖(あがな)い、 汚点をそそぐを許さるも、神の慈愛の深ければこそ。卑怯は、罪を繰り返す素。 神の与えし悔悟の機会を、自ら捨てて、迷いを深めむ。迷いは凝りて執着となり、 詫びの言葉の言霊さえも、容易に浄めぬ穢れとならむ。 さにて本日、卑怯というは、神の慈愛の拒否なりて、ますます迷妄深めることを、 人にも知らせ、よく気づかせて、清き命を全うせむため、その導きのよすがと されたし。人の尊き霊性を、損なうことは、口惜(くちお)しきこと。神の与えし そのままに、御魂の光を失うなかれ。さにて。
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最終更新日
2022.01.26 12:35:55
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