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テーマ:プロ野球の話題(103)
カテゴリ:プロ野球
タイトルの『空白の一日』
この言葉を知ってる人は40才以上でしょうか 簡単に説明します 1978年 当時のプロ野球ドラフト会議における入団交渉権は ドラフト会議当日から翌年のドラフト会議前々日までとなっていました この年のドラフトの注目は過去二度の1位指名を断ってアメリカに野球留学(浪人)していた『江川 卓』がどこに指名されるのか 意中の球団と言われていた巨人に入れるかでした ところが、ドラフト会議前日に巨人とドラフト外で契約締結 巨人の言い分は、「ドラフト会議前々日と言う事は、前日は自由の身なので契約できる」 ・・・確かに・・・ しかし、暗黙の了解と言うか他球団に言わせれば屁理屈以外の何物でもない 当然これを認めてしまうとドラフト会議なんぞなくなって自由競争になるので、当時のセ・リーグ会長が無効だと裁定 これを不服に翌日のドラフト会議を巨人はボイコットします 11球団で行われたドラフト会議 江川の巨人入りは無効という事なので、阪神、南海、ロッテ、近鉄が江川を指名 抽選の結果 交渉権は阪神へ(この当時はクジに強かったのか) このあと当然のごとく、グダグダにもめました 巨人はいつものごとく脱退して新リーグ作るとか・・・ で、最後はコミッショナーが、「阪神と入団契約を交わして、その後すぐに巨人にトレードさせる」という解決案を出し それを双方(巨人と阪神)がのむという形に収めました 江川は阪神と契約して阪神の選手に一時的になりました そして巨人にトレード で、巨人から阪神へトレードで出されたのが、『小林 繁』さん この時、小林さんは「同情はして欲しくない。ボクは野球が好きですから」と言ったそうです この年、小林さんは巨人相手に8勝0敗と意地を見せつけたのです 阪神のエースとして活躍しましたが、13勝を挙げまだ31才という若さで惜しまれながら現役を引退 その後は、近鉄で投手コーチをやり去年から日ハムの2軍投手コーチ 今年からは1軍の投手コーチとしてキャンプに向けて準備していたと思います 2010年1月17日 午前11時ごろ 急性心筋梗塞による心不全で死去されました 57歳だったそうです あの独特のサイドスローで帽子を飛ばして投げる姿 思い出します・・・ 御冥福をお祈りします・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.01.18 21:48:37
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