今更だけど・・・平成から令和のニュースを受けて
4月1日5月1日からの改正の年号が発表になった「令和」4月1日は朝からというか新年度で、新入職者もいて3月~ずっと準備に追われバタバタだった「年号 発表になったよ~ れいわ だって~」休憩中のスタッフが教えてくれためいわれいわ れいわどんな字だ(安倍の安っていう字が入らなくて良かったなあんてね)でもその先、仕事に追われて実感が沸かずまあ、1ヶ月準備期間があるんだから余裕だよね・・・なんて言っててもうすぐ新年号になってしまう昭和から平成に変わった時ってどうだったんだろうって思い返してみた1989年昭和天皇が後崩御された1月7日は?とアルバムを開いてみたらその頃は京都に住んでいて、同僚女子3名で志賀高原に7日~11日まで行っておりました「1989年 平成元年 今シーズン2度目の志賀高原 1月7日裕仁昭和天皇がAM6:33崩御されました(十二指腸乳頭周囲膿瘍) 1月8日より”平成”になりました」とアルバムには書かれていた(その頃はマメにアルバム作っていたわ)時はまさにバブリー時代 その真っ只中にいた自分達にはその意識は全く無かったけど思い返せば毎月のようにスキーに行き、20代ももうすぐ終わりって世代的にも仕事も京都生活も独身貴族をまだ楽しんでいたんだろう志賀高原と言えば当時スキーブーム火付け役となった「私をスキーに連れてって!」の舞台ミーハーだったんだろうなあ横浜時代の20才台前半は越後湯沢方面に行き、20才台後半の京都時代は志賀高原・蔵王・ニセコ冬はスキー三昧でテンションMAXで楽しかったのを思い出したゲレンデではユーミンの曲が流れ映画のように下手っぴながら”むかで”を滑ったり楽しんでたなあでも、1月7日のゲレンデは音楽は止まり静かに滑っていたのを思い出したやけにゲレンデの雪の白さが印象的だった そして今回、昭和から平成という年号の改正という衝撃な事柄だったのが1ヶ月の準備期間を経て迎える前回の時はお気楽にスキーを楽しんでいたので実感は沸かなかったけど今回は準備期間があったとはいっても、電カルのシステム系とか書類系とか大丈夫なのか当日、当直なので凄く心配している昭和は62年と14日平成は30年と113日間令和は何年続くんだろう最近は西暦で考える方が多いけど、日本の和暦っていうのも大事にしたいよね