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カテゴリ:ポルトガル人
私が近所のスーパーに買い物に行くと、2回に一度、いや毎回と言っていいほど遭遇する光景があります。 とする子や
( ´∀`)/三 手を振る子もいます。今日はスーパーで、私の目の前まで戻ってきて手を満面の笑みで手を振る子がいました。きぐるみをきた気分になりました。。。でもアノ子、かわいかったな~♪
私に反応をしてほしいのでしょう。子供達は純粋に、私が他の人と違うと思ってそういう行動をするのだと思って微笑ましいな、と思います。そう思うようにしています。 ほぼ毎回、親が全然見ていない瞬間だったりするので微笑み返したり、手を振ったりします。
大人の場合でも、ちょっと失礼だと思いますが、ジロジロ私を見る人は結構います。自宅から最寄の駅までの20分くらいの徒歩圏内だけでも人にジロジロ見られて、「私はここじゃ、ガイジンなんだなー」 と始めは衝撃でしたが、だんだん慣れてきました。 こちらから相当強く睨み返すと、人というのは自分が無意識に見つめていたことに気がつかされ、ハッと我に返るようです。実験済みです。
ここAMADORAは、それほどド田舎ではありませんが、リスボンと違ってそれほどアジア圏からきた人々を見ることが多くないように思います。 それよりは、どちらかというとアフリカ系の移民、黒人の方が多いです。
そんな私の感じていること、体験した話をディーにしたところ、日本でガイジン体験をした彼と話が盛り上がりました。
ポルトガル人の同僚と同じマンションに住んでいたとき、「コンニチハ!」と挨拶しても同ビルの住人でずっと無視し続ける人が数人いたそうです。 私も一緒に住んでいた時期があるので知っているのですが、確かにひどく無愛想な人が何人かいました。日本人同士でもです。 そのポルトガル人の同僚とディーが、二人でエレベータに乗った瞬間に別の住人がきたので開けるボタンを押して待っていたそうです。 そしたら乗るのを拒絶したので、ディーが「ドウゾ」と日本語で話しかけたらその男性は乗り込んだそうです。
もう一人の同僚ポルトガル人、ウゴがエレベーターの中で、「コンニチハ!」と彼に向かっていったら、その男性は明らかに無視したそうです。ディーが証人。 で、ウゴ、そこで辞めればいいのに、「コンニチハ~ pa!」と繰り返しました。 ディーはウゴをにらんだけど、まだ辞めず。結局彼は挨拶をせずにエレベーターを降りていってしまいました。彼が降りてからディーは「辞めろってば!」と彼の後ろ頭をひっぱたいたそうです 自分一人だけ日本人、そしてそこは日本。それで、ガイジンだけ乗ったエレベーターに乗るのは躊躇するのも当然です。それも分からないでもありません。 でも同じビルの住人でそこまであからさまに無視しなくても・・・とも思います。 そこから引越ししたさきの近所の人も、ディーの挨拶を無視したり、一時停車の車を見てディーの目の前で「くそッッ!」と暴言を吐く人、タクシーの運ちゃんに「バカガイジン!」と暴言を吐かれたことなどなど、思い返せばガイジンということで日本では嫌な思いを沢山してきました。彼も私もです。 それに比べれば、幸い、私はこちらでそれほど嫌な思いをした事はありません。 ジロジロ物色されているように見られてちょっと嫌だな、とか中国人と間違われたりとか、なぜ犬を食べるのかと聞かれたりとか、細かいことは色々ありますが、まぁあまり気にしないようにしているし、ポルトガル語の細かい所まで把握できていないからそれほど傷ついていないだけかも知れません。 ともかく、結婚する前、結婚した後と、二人ともガイジン体験を味わったことがあるのはよかったような気がします。お互いが“母国での自分の素顔”と“相手の母国でガイジンとしての顔”を見せ合い、同じ人間なのにどこかに不自由を感じているときの弱さや寂しさを抱えて、そんな体験できたというのはとても貴重だと思えるからです。
最後に、我々は良い意味がないと知っていてあえてガイジンという言葉を使っています。私はいまガイジンだし、彼も日本で3年間ガイジン体験をしました。 wikipediaには外人という言葉を差別的感情や劣等コンプレックスなどのニュアンスが込められる場合もある。このため、差別用語として忌避されることがある。 と紹介しています。まったくその通り。でも、それが現実なんです。 ディーがあえて自分のことを「ガイジン」と3年間呼び続けていた意味が今身に染みて分かる気がします。
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