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カテゴリ:家族と友達
今日から6月・・・・。 昨日、お義母さんと一緒にディーを空港まで見送りするのは本当に本当に辛かったです。 お義母さんは空港で相当泣きました。特に別れた後。
空港で、激しくすすり泣くポルトガル人女性の肩を抱くアジア人女性、二人組み。他人がどう見てるか、そういう時そんな事は一切考えられませんでしたが、辛かったです。
どう言葉をかけて良いか分からない、両親にこんなに辛い思いをさせるって、私たちの決断は良かったんだろうか。そんなこともゴチャゴチャと頭の中を駆け巡りました。
それからお義父さん。見送りにはこれませんでしたが、最近感情的になっていて、昔の話をしたり将来のことを話したりすると涙を抑えられなくなっています。 出かける前の晩、ディーと最後にハグをして『言って来いよ、元気でな!』という息子との会話、お義父さんはぐちゃぐちゃに泣いていました。 私が『きっと直ぐにポルトガルに来ますから!』というともっと泣いてしまうのです。思い出すのは2005年の冬、こちらに着いたばかりで住む家が無かった私たちは、両親の実家に居候していました。 最初から最後まで出張続きだったエンジニアの夫はポルトガルにいるよりも仕事で外にいる。 そして、妻の私は、渡葡していきなり夫なしの両親との同居生活が始まったのでした。 現代の結婚事情、よく知りませんが、 ●新婚で夫の両親の家で同居。(←多分、これは結構あるかも。) ●嫁が外国人で言葉を知らない。(←世の中、躊躇するご両親は少なからずいるはず。) ●夫=息子がいない。(←う~ん、あんまりなさそう…)我が家のように、この3拍子そろった条件はあまり無いパターンのはず。 にも関わらず、夫のいないほぼ半年間、最始めは言葉も全然知らなかった私に、色々世話をやいてくれたり良くしてくれたり、学校からでた宿題を手伝ってくれたり。 当初、一人歩きは絶対危険!と言ってお義母さんは通学の時に車で送ってくれたり、全くの箱入り嫁でした。文字上では"義理の娘"ですが、実際に"子どもに戻ってしまった!?"と感じるくらいに生活のすべてをやってもらって全く甘やかされた嫁です。 息子がいない間に何かあったらどうしよう、遠くから嫁いできた嫁に何かあったらどうしよう、そんな風に毎日心配してくれた夫の両親…、色んな事を一つ一つ思い出す度に、やはりここを去るのがとてもさびしく感じられます。
ところが、ポルトガルで出会った友達の多くは、バックグラウンドも違えば年齢も違う、今までの職業も全然共通点がありません。 それにも関わらず、会えばいつも、話に花が咲いてしまい、きりが無くしゃべり続けられるのです。不思議ですが、これが私が感じた率直な印象です。
人間同士ってどこでどんな出会いが待ちうけているのか全く未知です。 たとえばブログをきっかけとして人と出会うなんて意外性があり、強烈なインパクトとして心に残ったりします。 外国で生活しているわけで、『日本人である』ということしか共通点が無いのにそれだけでお互い知り合いになったりします。 また大げさですが、ひょんな出会いが、時に自分の人生に影響を与えさえするもの。 だからこそ出会いって面白いなといつも思うのです。また新たな出会いがこれから待っているのかも!と思うとワクワクもあります。お別れがあるということは、また新たな出会いがその後待っているということ。 これから新しい土地で元気でがんばって、稼いだらちゃんとポルトガルにも戻ってきます!ポルトガルの家族のみんな、そしてポルトガルで出会ったみなさん、次回会えるのを楽しみにしています! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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